今週のomi家
2011/04/17

今年は桜が咲くのが遅い遅いと思っていたら、あっという間に散り始めた。
昨日(金曜日)は風が強かったため、花吹雪になり雪のような景色を見ることができた。

omi家でも何回か書いたが、今年になってから何回もの大掃除(をやってもきたないのはなぜなんだろう。。)を繰り返し、その最後に地震がきた。
本棚の中のくずれかたはものすごかったんだけど、扉をリボンでおさえていたために、外に飛び出したものは少なかった。
地震当日にその飛び出しそうなものを全部とりのぞいて、外にだしておいたのだが、やっとそれを片付けようと思ったのが木曜日。
本もだが、飾っておいた額とか息子達が小さい時に作った工作などが、テーブルの上に乱雑におかれて一ヶ月。
それらがほぼ所定の位置(より低めの場所)に戻った。
ピアノの上の額はまだ寝かせたまま。
このコーナーは二月に作ったのだけど、自分でも気に入っていた。
この一連の地震がはやく終わらないかと思う。

そして、こんな片付けをやるだけでも息切れがする。
そうなんです。
今年の花粉症がひどすぎて、まだマスクをしている!!!
マスクをしないと夜が大変で、マスクをしていると昼間の活動にさしつかえがあるというどちらをとってもよくない状態が何ヶ月も続いている。
今まで花粉症だからとマスクをすることはなかった。
しかし今年は一月に花粉症+風邪という状態になり、本当にしんどかった。
それからマスクはかかせない。
しかしそろそろマスクをして歩くには暑くなってきたなあ。
はやく花粉がなくなってほしい!!!

野鳥のメッカMに行った。
この日の朝、かなり大きな余震があった。
東京は震度4だったんだけど、地下鉄に乗ろうとしたら、遅れがでていて、駅にとまったままの車両で10分以上待った。
思わず思った。
これで大きな余震が来てしまったら野鳥のメッカから歩いて帰るんだあ。
最近歩いてないomi
ちょっと歩くのが途絶えると歩くことに不安がある。
花粉よりも放射能よりも恐ろしいのはひょっとして太ることかも。
また少しがんばりますわ!

土曜日。福島から叔母がやってきた。
父の三回忌のためだ。
福島の叔母の家は幸いにも家具の転倒などはあったものの、無事だった。
従姉妹達もみんな無事だった。
海からはずっと離れているからよかったというのが今回の地震の特徴だったのかもしれない。
叔母曰く。
原発さえなければそんなに大変じゃない。
しかし話しはすごかった。

叔母は運送やを営んでいる。
従姉妹の代になっているのだが、なんと77歳のおばも現役だ。
77歳と聞いた時はかなり驚いた。
なんといっても叔母は若く、60歳ぐらいにしかみえない。
へたをするとomiとは年がはなれた姉妹ぐらいの感覚だ。

で、地震のその当日、おばの会社の一台のトラックが石巻にいっていた。
もちろん地震に巻き込まれ、ドライバーは安否がわからなくなった。
従姉妹達はジープ(従姉妹の趣味はこのジープに乗って、山菜を取りに行くこと)で、地震のその日の晩にこのドライバーの捜索に石巻に行ったらしい。
なんといっても、道も寸断されており、テレビでは自衛隊もはいれないということだったんだけど、なんとなんと従姉妹は仲間をつれて行ってしまった!!

ところが、ドライバーは見つからない。
途中、同業者の人に偶然にあい、その人たちにも手伝ってもらって探したが、見つからなかった。
携帯は通じないのだが、従姉妹が見つけたのは鉄塔の近くだと(この鉄塔は携帯につながる鉄塔だったのかあなあ)携帯は通じるということ。
それをフル利用して、連絡してきた。
一度、福島まで帰ってきて、また次の晩、石巻まで行った。
するとトラックが見つかったんだ。
トラックは奇跡に近かったんだけど、前の車までが流されたのだが、すんでのところで流されずにいた。
しかも積荷が全部無傷だった。
そしてドライバーは一般の家にいて無事なことがわかった。

このドライバーの話し。
津波がきた時はビルの上にいて助かったと。
その後、子どもも含めて何人かを助け、無事だったトラックにつれていって、体をあたためたり、寝かせたりしたらしい。
子どもを背負う袋を自分の寝袋でつくり、被災した人達と避難所に向かった。
子どもは両親とはぐれていて、避難所の人に託した。
従姉妹の奥さんがトラックの中に『あんどうかりん』という16センチの靴を見つけたので、たぶんこの子どものものだったのではないかと思うといってたそうだ。

ドライバーは一人のご夫人に頼まれて、家まで送っていったそうだ。
そこで、泊めていただいたいて無事だったと。
そこの家の御主人も無事だったことがわかり、それでやっと従姉妹たちと会うことができたらしい。
避難所にいなかったので、従姉妹もかなり心配したのだが、とにかく無事でよかったとみんなで喜んだ。
ドライバーはいろいろな光景を見て、まだ思い出すと涙がでてきてしまうのであまり地震のことは考えないようにしているとも言っていた。

今回の地震はいろいろな話があるのだろうけど、身近でこういう話を聞くと人の運命を感じてしまう。
従姉妹達も叔母も無事でよかったとただただ感じる。


父の三回忌は家族だけでおこなった。
日曜日は雨とずっと天気予報でいわれていたのだが、不思議とそれは誰も心配しなかった。
父の法事はかならず、晴れるからだ。
四十九日の法要の時は、家に戻ってきたとたんに大雨が降ってきた。
この時も不思議だなあと思った。
そして今回も予想どおり、雨はふらず、晴れ間さえみえる日となった。

今回の法事は長男が結婚して初めての法事だ。
娘(お嫁さん)は少ないけど夫の親戚の中で大変だったかも。
でもにこにこと明るくしてくれていたので感謝だ。
本当にいつも思うけど、よくあの長男にこんないい人が来てくれたと思うんだわ。
お墓参りの後はみんなでおばあちゃんの家に集まって、食事をした。
こういう時は妹たちが食事の手配をしてくれる。
今回のお弁当、おいしかった!!!
(法事なのにそういうことしか書くことがないのか。。。)

omiは和菓子を買っておいたのだが、妹がクールで直接送っておいた和菓子が超おいしくて
次男は言った。
『同じいちご大福でも格が違う!!』
そこまでいうかなあ。。。。。。

この日、長男達は結婚式のDVDを持ってきてくれたので、みんなでそれを見た。
なんと、来賓の祝辞を
早送りする長男。
いや〜〜〜
いい考えかもしれないけど、そこまでするか。。。

夕方、叔母は新幹線で福島に帰った。
東京駅まで見送る。
実はomiはひそかに今週、福島に花見に行こうかと思っていたんだ。
すると叔母に怒られた!!
『現地にいても放射能が怖いのに、わざわざ来ることはない!!!』
そうかなあ。
よく聞くとomiがいこうとしていたところは、放射線のレベルが高い地区らしい。
でもだから今年は空いているんじゃないかなあとも思うんだけど。
なんとなくあきらめがつかないomi
まあしかたないかあな。
ここまで言われてしまっては。。。

法事が終わり、母はほっとした様子。
80歳をすぎてから法事をとりしきるのはかなり大変だったはずだが、それをやらないと気がすまないので、omiはひたすら無事に終わるのを祈っていたということになる。

父が亡くなって二年。
でもまだ思い出はたくさんあるし、法事のたびに思い出が増えていくだろうなあと思う。



今週のomi家
2011年4月10日
ひさしぶりに香港時代の同窓会をした。
関西からもこの東京に2名も来てしまって、めちゃくちゃ楽しかった。
今回の同窓会はひょんなところから始まった。
まずomi家の長男の結婚で、いろいろ電話やメールをいただいたりしていくうちに、会おうかということになり、それじゃあ、関西のIの長男が今年、大学卒業で東京に来るからそれにあわせてみんなで集まろうということになった。
で、Iに
『来ることになったら連絡せよ!』
と流す。
すると、
御主人の部屋のそうじに来るという。
『卒業は?』
というと、
なんと卒業は来年でした。

でも集まることにする。
来年は来年で集まればいいでしょ。

関西のMはちょうど息子が海外転勤の前なので、その用事をこなしがてら参加する。
息子が海外転勤!!
このメンバーはかつては全員が夫の海外転勤についていった仲間だ。
それがもう息子の時代になった。
あのK君が海外に行くんだあ。。。
と感慨深いものがある。

メンバーの中で一番息子(なぜか娘じゃないのよね)が若いのがSなんだけど、それでも息子はすでに浪人中なんだ。
時がたつのがはやすぎる。

全員の長男長女が同じ年っていうのもすごい!!
しかも一緒の幼稚園でもなく、一緒の小学校でもなく、あえて言えば、みんなが一緒のプレイスクールに通っていたということなのかな。

息子の結婚に関していえばomi家の長男の結婚は二番目だった。
なんともうおばあちゃんになっている人もいたんだわ!!!
なんどもいうけど時がたつのは早過ぎないか。。。

しかし、昔あれだけ大変だった子ども達が(なぜあんなに大変だったんだろう。。)写真をみると立派になっていて、そして女の子達は例外なくきれいになっていて、本当に感慨深すぎる。

昔の話をするときりがない。
香港の地名とかもでてきて、それを聞くだけでも懐かしかった。
もうみんなが一緒だった時期は20年も前のことになる。
おそらく香港は今よりもずっと香港らしいときだったと思う。
香港チャイ(香港の子ども)といって広東語であいさつをしていた子供たちがこんなに大きくなってみんな社会人になったり大学で勉強していると思うと、自分がどっと老いたような気がするなあ。

また来年も会おう!!
今から楽しみ。


その会合から2日たった朝。
この日からロードナンバーワンがはじまることになった。
それをテレビ欄で見たときは、すでに出勤の時間がせまっている。
で、なんと録画ができなかった。
あわてて同窓会の友達にメールする。
なんと韓流ファンがいたんだわ。
しかもかなり多かったし。
みんなで韓国に行こうとも行っていたし。。。
このメンバーで韓国にいったら、おそらく大変だと思う。
なにが大変かは具体的には言えないけど、そういう感じがしてとまらない!!
で、もちろん録画を頼みました。
サンクスです!!


土曜日まで仕事がはいり、日曜日。
桜が満開だ。
そりゃ。
このまま写真をとらないということはないでしょ。
ということで、選挙、実家と経て写真のたびにでかける。
といっても近所のたびだ。
そこで、見つけてしまった
あまりにもきれいな公園。
こんな公園があったんだあ。

しばし写真を撮る。
しかし雨が降ったら全部散ってしまうだろうなあ。
もったいない!!
写真が思うように撮れない
写真の10倍以上美しい!!
もうすぐ桜の季節が終わり、初夏になるなあ。


オハイオの友達が入院した。
はやくよくなってほしい。
今、海外に花を贈るときに電話番号が必要になったんだあ。
ポールにメールして電話番号を教えてもらった。
今週中ごろにはお花が届く予定です。
便利な世の中になったなあ。
はやくよくなって退院してほしい。


今週のomi家
2011年4月3日

原発の不安の中、また余震も続くなか、早くも四月だ!
三月中はなんのことかわからずにすぎた感じがある。
まったくカメラをもたないで、こんなに過ごしたことは最近なかった。
鳥のことを考える余裕もなかった。
余裕がないところで、鳥は山やふるさとに帰ってしまったはずだ。

そしてようやく桜が咲き始めた。
最近では卒業式のころが桜の開花時期だが、今年はまだやっと咲き始めた段階だ。
こんな年だから早く暖かくなってほしいのにうまくいかない。

友達が経営している美容院に行く。
当然、話しは地震となった。
そこに同級生がもうひとり、お客さんで登場。
また地震の話しになる。
彼女の会社では晩御飯に非常食がでたそうだ。
『非常食って乾パンだと思うでしょ。今は違うのよ。α米でできたピラフだった!!』
へ〜〜
今ってそういう風になっているんだあ。
なんせ、同級生が3人集まってしまったんで、話す話す。
話しにきているんだか、髪をセットしにきているんだかわからない!!
しかし今回、またわかってしまった。
美容院っていうのはいろいろな情報をもっている。
お客さんが情報を残していくみたいだ。
なるほどなあ。
毎回のことなんだけど、美容院に行った日のみ、セットされてきれいになっていた!!

とってもひさしぶりに土曜日は多摩川に行った。
多摩川に行くとあまりにも普通なのでほっとする。
子ども達は野球をしたりサッカーをしたりしていたし、ジョギングやサイクリング、散歩をしている人も多かった。
鳥を見に来ている人も多く、最近の情報も聞いた。

これほど鳥を追わなかったのは、もちろんひとつには地震のこともあったけど、今年は花粉症がひどいんだわ。
三月のはじめ、まさかの花粉症パニックをおこした。
マスクをしないで外を歩いていたら、のどのひりひりだけではなく、せきもでてしまい、そのあと、風邪にもつれこんだ。
最近ではいつもマスクをしているんだけど、今回も鳥を見に行く時にはマスクをした。
それでも次の日(これを書いている日曜日)はのどの痛みがすごい。

今年は例年以上に花粉が飛んでいるそうで、雨も降らず乾燥しているなか、毎日、出歩くことは無理になってしまっている。
ちょうど仕事も忙しかったので、家でごろごろごろごろしているのはそれほど苦痛ではなかったんだけど、確実に太った。
やっぱり歩かないとまずい!!!!

川原で歩いていてやっぱりアウトドアはいいなあと思う。
冬の間はすぐに日が落ちたが、お日様がでている時間がながくなった。
春の花が咲いており、虫の声もきこえた。
冬鳥は大方、北に帰ってしまい、残っている鴨はコガモとカルガモだけ。
セイタカシギも数が少なくなっている。
ツグミとオオジュリンはまだ残っていた。
これらもそろそろ旅立つ準備中なんだろう。

川では水上スキーをする人もおり、春だなあと感じさせてくれる。
もうすぐつばめのシーズンだ!!
それは楽しみ。
今年もいつもの工場に巣を作ってくれるだろうか?


さて次男は最近、残業が多くなった。
実験が終わらないらしい。
それを聞くと
大学時代となにも変わってない!とはっきりわかるんだけど、違うのはとりあえずは仕事をして遅くなっていること。
それをいいこととして、母に夜、遅く晩御飯を作らせる。
次男には正式に文句を言った。
自分で温めて食べればいいようになっているからなんでも自分でやること!!!
母も疲れているんだ!!

地震以降、あまり見なかった韓国ドラマも再開している。
二週間は確実に韓国ドラマから離れた。
(こんなに離れてしまったのは、韓国ドラマにはまった秋の童話以来はじめてのこと!)
そしてわかったこと。
韓国ドラマを見てないと韓国語がわからなくなる!!!


韓国語がわかる?
といえば
韓国語がわかる。
と答える。
韓国語がわかったような気がする?
といえば
韓国語がわかったような気がする
と答える。
でもちょっと不安になって
韓国語はあまりわからない?
というと、
韓国語はあまりわからない
と答える。
こだまでしょうか?
いいえomiです。

という感じだ。

しかし、確実にドラマを毎日見ているのと見ないのでは韓国語の理解度が違ってくることが、今回わかった。
前回、韓国に行った時、かなり自分も韓国語がわかるようになったかもしれないと思ったのは、やはりドラマのおかげだったんだ!!!

ひさしぶりに復活した韓国ドラマ、第一号になったのがコーヒーハウスだ。
地震の後で、やっと、ああ韓国ドラマだあ!!って思うことができた。
しかし考えてみると、こんなにどっぷり韓国ドラマにはまれるって幸せなことなんだと思う。
これからもまだまだ韓国ドラマは見ていくぞ!!

春の多摩川の様子はまた特番を書く予定。



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