今週のomi家


2004年5月29日

韓国語とロシア語のテキストを買いに本屋に行った。そこで驚いたのは「冬のソナタ」がもう文庫本になっていたことだ。さらに冬ソナだけでなく、「美しき日々」や「オールイン」も本になっていた。さらに「夏の香り」もあったし、なんと「テグキ」(6月に公開される映画)も本になっていた。ちょっとすごすぎるわと軽い眩暈をおこしながら帰ってきた。なにげに韓国語のテレビ6月号をみると広告欄に「ホテリア公式ガイドブック」があった。なんと欲しかった「ホテリア公式ガイドブック」だ。購入するために韓国エンタメサイトというところに登録した。ちょっと前まではこのように安易にどこにでも登録することはなかったのだが、今はどこにでも登録してすぐにIDやパスワードを忘れる。しかしそんなことを言っている場合ではない。とにかくこれだととびついた。こんなことをしている人がいるからなんでもバンバン本になってしまうんだと思いつつ、欲しかった本をゲットできそうだと喜んでおります。

勉強をしなくても試験は来る。次男のことだ。明日は英語の試験だという。なんと教科書の和訳をもっていた。

「えっ!誰のコピーしたの?」

息子のことだから自分でやっていないのはわかっている。

「拾ったんだよ」

は?どういうことだ。

Sがノートが落ちていたんで拾ったら、ばっちり訳が書いてあるんで、コピーしたんだ。それをオレがコピーした。」

さらに、

「クラスで5人ぐらいこの訳を持っているけど、ノートを落としたやつは訳がないんだ。」

そして

「ノートって落ちているもんだよな」

と付け加えた。あんびりーばぶるだ。

ビデオデッキの調子がおかしい。タイマー録画なんてものはとっくの昔に壊れてしまっており、時々録画してあるのに砂の画面がうつってたりする。今回は韓国ドラマの「星に願いを」の録画をみようとしたら、テープがデッキの中でからまってしまいでてこなくなった。寝る前のひとときを韓国ドラマで楽しもうと思っていた私はパニックになった。どんなにしてもビデオはでてこない。しかたないので、ビデオをひっぱりだしてはさみで切るという野蛮な行為におよんだ。これから見ようと思っていたビデオの無残な姿にしばし呆然とした。そのとき思い出した。どこかの雑誌にビデオの修復というコーナーがあったわ。それから雑誌を探しはじめ、そのビデオを解体して切れたテープを強引にセロテープではりなおした。もとの形にとりあえず戻ったビデオはちょっとぱかぱかと音がする。そのぱかぱかビデオを再び壊れたデッキにいれてみたらなんとか見れた。しかも切ったテープの部分はコマーシャルだった。夜中の12時までかかって肩はパンパンだったけど、私ってすごいじゃないって自画自賛したのでありました。

田園調布の本屋に行った。そこで見たものはなんと福音館書店の「ぐりとぐら」とか「ぐるんぱのようちえん」の韓国語版だった。表紙も同じだし、いったいどうしたんだ。まるで韓国の本屋だわとびっくりした。これって買う人がいるから作っているですよね。

韓国ドラマのマイベストアルバムを作った。でも何回か聞いているとこれがベストでないような気がしてきた。近々また作り直す予感がする。ドラマ(真実)の歌詞カードが句読点も区切りもなく載っていたので、みやすくするためにタイプしたのだが、どこで切れるのかさっぱりわからない。があれば基本的に文の最後なのかと思っているけど、そこで区切ってもうまくはいかない。もちろん意味もわからない。ここまで何もわからない曲を覚えようというのはすごいけど、この歌詞って覚えられる日がくるのだろうか。

 保育園のT先生のお子さんが小学1年生になった。先日、家に帰ってくると「○○ちゃんは不潔なんだ」

といったそうだ。不潔なんて言葉をどこで覚えてきたのかと思い問い詰めていくと、それは不潔ではなく運動会の補欠だったそうです。あるあるそういうことが。いつまでも。話題提供ありがとうございました。

 昔の同僚のお子さんが東大に行っている。でも彼女に言わせると息子さんは何も知らないというのだ。

「ごそりだ、というからなんのことかと思ったら五反田のことだったわ」

なにかとても嬉しかった。そういう東大生って好きだわ。話題提供ありがとうございました。

息子は試験の最終日前日、

「もう疲れてどうしようもない。」

と騒ぎ出した。遊ぶことは少々のことでも大丈夫だが、勉強となるとものすごく疲れるらしい。そして体温計まで持ちだし、

「ひょっとすると熱があるかもしれない」

と言い出した。馬鹿じゃないか。彼はもちろんちょっとでも熱があることを期待して計ったのだが、もちろんそううまくは熱はでてくれない。ものすごく落胆する姿をみて、この子はなんなんだろうと改めて思った。だいたい試験といっても、ものすごくがんばって勉強するわけではない。一日平均で3,4時間ぐらい勉強すればすごいということになる。もちろん塾がある日はその勉強時間も含めてだ。これは受験のときもそうだった。しかも世の中には寝る暇をおしんで勉強している人もいるといったら、なぜそんなうそをつくかと言われた。今回の試験もかなりの部分は山かけで臨んでいるのだから、実力テストに等しいところがある。地理なんかは本人が言うには三十分しか勉強しなかったそうだ。母はさささんじゅっぷん!とまた卒倒しそうになるのだが、それはもう試験の後の話なので、じたばたしてもどうしようもない。そこまで勉強時間を削っているのに、この騒ぎである。さ来年、この子は受験できるのかと本気で心配しています。

NHKのテレビロシア語講座のテキストにサハリンの韓国人の話が載っていた。「サハリン州の人口の55万人のうち、韓国系朝鮮人はおよそ4万人を占めている。朝鮮半島からサハリンにやってきた一世の多くは戦時下で日本に徴用された人々だった。戦後彼らの帰国の希望は黙殺されサハリンに取り残されることになった。日本の支援は2000年からようやくおこなわれ今までに800人以上の人が故郷に戻ったが、日本政府が用意したアパートが満室のため、希望が満たされていない。日本政府はこのことに対して新たな受け入れ施設を建設する資金がないと言っているそうだ。」

こんな話しってあるのか。イラクではなくてまずこちらだろう。北朝鮮ではなくてまずサハリンの韓国人だろといいたい。お金はあるよ。なぜ日本ってこのように弱い立場の人を無視するんだろう。私たちの税金で帰国させてよ。NHKもこの話しをもっと大きく扱ってよ。このような問題を知らなかった私も世の中のことを何も知らないと反省しました。

前にも書いたけどこのごろの日本人の考え方や報道のされ方が気になる。イラクの日本人人質の時もそうだったけど、政府に逆らうとバッシングされるみたいなところがある。今回、拉致家族の方々が首相に対して抗議したことが話題となっている。家族の方にとっては首相が北朝鮮に行って情報もなかったというなら抗議したいでしょう。言い方が悪いとかねぎらいの言葉もないとかいうのは何かしっくりこない。北朝鮮の問題に対しては小泉首相は取り組んでいるだけ今までより数倍いいといってもいいだろう。(というか今までの政府は何をしていたんだか)しかし家族の方にとっては、やっと抗議できる首相になったということだけなのだ。やっと言えることができる政府になって言ったら、そんな言い方はないだろうと言われた。そもそも日本は民主主義の国だ。(このごろ民主主義ってよくわかりません)だったら言いたいことは言える。腹がたったこともいえる。その言い方のいい悪いはあってもとりあえず何でもいえる。その基本をくずしていったら民主主義は崩壊されていく。言い方のいい悪いは個々が判断すればいい。(大人であればですよ)でもやっと言えたということに対して、みんなでそんな言い方はないといってしまったら、言論統制になるんじゃないでしょうかね。ものすごい島国根性を感じます。


今週のomi家

2004年5月22日

女子バレーがオリンピックに行くことになった。次男は毎回予選を見ていた。昨日のロシア戦をみて言った。

「ロシアってすげえよ。204cmだよ。」

選手の背の高さだ。背だけをみるな。母はほかのことをバレーで学んでほしいと願う。日本のキャプテンの吉原は素敵な人だ。あのきりっとした顔、根性、我が家にはないものばかりもっている。少しバレーでも見れば息子たちも根性がでてくるのではないかと期待している。

 とんでもないことに長男が私が勤めている保育園にきた。家の鍵を忘れたというのだ。私はすっかり動転してポケットにはいっている鍵のことを忘れ、一度ロッカーのある2階まで走り、その途中で鍵を持っていることを思い出し、また下に走った。彼は学校帰りで、ものすごい格好だ。しかもこの暑いのに縞模様の長袖のカーディガンまで着ている。ここまでですでにひっくりかえりそうなのに、こともあろうか園長先生に挨拶させたら、言葉につまって

「がんばってください」

といってくれた。はっきり言ってわが子は馬鹿の代表ですというような言葉だ。私はもう気絶しそうだった。今までにも何回か同じようなケースがあったが今回ほど、卒倒しそうなことはなかった。家に帰りそのことをいったら

「オレだってなんて挨拶すればいいのかわからないんだよ」

といわれた。男は黙って、「こんにちは、Tです。失礼します」

これだけでいいんだよ。と唾をとばすように教え込んだ。でもこれが実践されることがあるのか。また無駄骨かもしれない。

 次男は神道と仏教の違いがわからないらしい。今まで神社と寺と一緒だと思っていたのか。またくらくらする。そして言ってくれた。

「オレはキリスト教がいいな」

そうだな。毎週教会にでも行けばすこしはまともになるかもしれない。

「うん。教会に行ってすべてを許してもらう」

はっきり言ってあんたのすべてを許すような教会はないよ。

 何回かポールのことを書いた。ポールはアメリカのオハイオ州に住んでいる。大昔、私がオハイオにいたときに友達になったリサのお父様だ。ポールとはなんと2年ぐらい前からメル友だ。おもしろいホームページを教えてくれたり、写真をネットで送ってくれたりしてくださる。今回は孫のジェームのドレス姿の写真を送ってくれた。はじめて学校のパーティにでたということで母親のリサからは何も連絡はないのに、ポールは何回もそのことでメールしてきた。写真を見て驚いた。えっ!リサの子供ってこんなに大きかったけ?さっそく問い合わせたら、なんとまだ15歳でした。黒のドレスを着ていると、どうみても20歳以上だ。さすがアメリカ人。ちょっとすごすぎると思った。

香港のときの友達が東京に来た。2年ぶりに会う。仲のよかったもう一人の友達と3人であっていると時間が過ぎているのを忘れてしまう。香港から帰ってきたばかりの友達は私の韓国マイブームの火付け人だ。いまや火付け人よりも私の方が大火事状態になっているが、韓国ドラマの話しができる人って本当にいいわ。ただ昨日の会話でとてもひっかかったのは彼女は韓国国籍なので、日本に住むときはビザが必要だということだ。なんで彼女にビザが必要なんだろう。そもそも誰がビザなんてものを考えたんだろう。地球上のどこに住むのも自由なんじゃないかな。日本国民だといってもどうせ何かあったら自己責任だなんて言われるんだし、どこかの国に拉致されても長い間ほっとかれるし、だったらいっそまったく自由にしてもらった方がいい。

 保育園の4歳児の男の子の絵が廊下にはってあった。鳥が太陽を見ている絵だ。下のコメントに「鳥が宇宙にいこうと太陽をみている」と書いてあった。なんて素敵なんだろう。心の奥まですっと透るような感じがした。

 長男は一年間無事故だったので優良ドライバーの証明書みたいなものが送ってきた。免許をとってから2回しか運転していないので、それは優良ドライバーでしょう。現在我が家には車がない。そこでこの2回はレンタカーの運転だ。しかも初めての運転は義父がなくなった時、その2週間前に免許を取ったばかりなのに三沢から陸奥までの2時間半ぐらいの道中をほぼ強制的に運転させた。三沢空港から主人の郷里の下北半島までは車で3時間から4時間かかる。汽車を乗り継ぐと三沢空港にたとえ朝9時についてもその日のうちに到着できるという保証はないぐらい遠い。主人は先に郷里に帰ってしまい、遅れて到着した私たちは交通手段がなかった。しかも荷物は山のようだ。駅前のレンタカーやに行き、私の使ったことのない免許証を見せレンタカーをかり(しかもそれしかないということでバンだった)運転しろと言った。これって結構どきどきものだったけど、後ろの座席では次男が何も考えず眠っていた。その次はやはりレンタカーで青森にいった時に運転したのだが、高速道路を快調に飛ばしてくれた。このどちらもが疲れていたので、あまりいろいろ考えなくていい状態だったのが幸いだったと思う。因みにまったく運転をしたことがない私も優良ドライバーです。

次男Tがまた聞いてきた。Megafepsって何?むむ。はじめて聞く単語だぞ。

「辞書をひけ、辞書を」

その5秒後彼は

「やっぱりいいや」

と言った。聞かれてもあきらめられても面倒だ。すると教科書をもってきて

「これってどういう意味か教えて」

と言ってきた。そこにはMegafepsと書かれ、m−mindE-enjoyなどと単語が書きこんである。要はMegafepsは単語ではなかったのだ。ここでやっぱりいいやの意味がわかった。この単語群はよく見ると不定詞ではなくてing形をとる動詞が書かれている。どうやらing形をとる動詞を覚えるための暗号らしい。母は解読できてちょっとうれしかった。そして意気揚々と息子にいった。

「これだけを書いていてもだめじゃないか。先生の説明もちゃんと書いておけ」

すると息子は言った。

「だってこれオレの教科書じゃないもん」

試験前にノートだけじゃなくて教科書も借りるのか。

次の日今度は

Aに現国の漢字の範囲を教えてくれっていわれた」

「人の心配をしている場合ではない。自分のことをやれ!自分のことを!」

「大丈夫だよ。オレ試験範囲も知らないもん」

それは大丈夫ではなくて、超やばいというんだ。

 昔の職場の友達に会った。20年ぶりと思っていたが、みんなで計算したら18年ぶりだった。まあ大差はないが。。。5人で集まったのだが、誰一人はずれなく昔のままだった。18年というとものすごい歳月だ。保育園の先生に、自分のほうから「あら変わったわね」といったほうがいいとアドバイスを受けていったのだが、その心配はまったくなかった。昔のままに大声で話すし、みんな、かなり大雑把だったし、とても居心地がよかった。また会おうねと約束してわかれた。しかし毎回、あの調子でテンション高く話したら体力使うわ。

お知らせです。

612日 10301230にお台場のTEPIAデジタルプラザでホームページ作成の無料講座があります。応募多数のときは抽選というので友達の名前を使って申しこんだのですが、なんとほとんど受講可能でかえってきたのです。3人ぐらい一緒に行けます。もし興味があるかたはお知らせください。




今週のomi家

2004年5月16日

次男Tの耐久歩行の朝、うらないでみずがめ座がその日のNo.1だった。それを見て息子は行った。

「今日ははやく帰ってこられるかな。」

こんなことが目標だったらなんのための耐久歩行かわからない。しかも

「今日、オレって往復で10キロ歩くのか、片道10キロ歩くか知らねえんだよ。」

どっちでもいいわ。さらに保険証の写しを持ってくることとあったので、コピーをしておいたのだが、それを

「重たいから持っていくのやめようかな」

といった。私は自分の耳が悪くなったのかと思った。保険証の写しというのは紙1枚だ。いつも漫画を10冊も20冊も学校に運んでいる人がなんで紙1枚でそういうコメントをするのかまったくもってわからない。

 長男Tの机にでっかい耳の模型がおかれていた。また何事か。

「あっ、あれは手品につかうんだよ」

長男は一時、手品にこっていた。スプーン曲げなど見事にやっていた。この耳は手の中にいれておいて、「えっ?」と相手のことを聞きかえす時手を耳にかざしてぱっと大きく開くらしい。

「じいちゃんの先生にやってみようと思う。」

大学生になってそんな馬鹿なことを考えるかなあ。じいちゃんの先生の単位落とすぞと思いつつ現場を見てみたいと思う母でした。

 長男は時々、派遣会社からバイトに行く。1日でもOKというところが魅力らしい。先日も電話がかかってきた。しかし平日にはいけない。学校がありますというのが断るときのせりふなのだが、先日はたまたまコンタクトを眼科医にとりに行く予定もあったので、

「目医者に行きます」

と言ったらしい。すると派遣会社の人が

「じゃあ、目がよくなってから来てください」

といってくれたそうだ。

「いやいやそういうことじゃないんだけど」

と息子はぼやいていた。

次男が小学校6年のまだ希望があった時に、朝日新聞の子供記者になったことがある。本人が国語がどれほどできないかは誰もが知るところだが、そのときはFAX10行ほどの文を書いて応募したら採用してくれたのだ。その後の子供記者は採用時に面接も課せられているので、この一番最初の採用がどれほど問題があったのかわかる。しかし息子は人生で最大のいい思いをした。宇宙飛行士の向井千秋さんにインタビューをして、めちゃくちゃ尊敬できる人に巡り会ったのもこの時だ。今回は一緒に取材をした子の母親で集まった。5年の月日はこの時期本当に大きい。当時中学2年から小学校4年までの構成だったのが、もう大学1年から中学3年までに成長している。息子と同期の高校2年の女の子は今度アメリカに留学するそうだ。かわらないのは親達ばかりなのかもしれないと感じた。(でも親達はこれからも集まりましょう)

6月に香港に行くことになった。526日は父の80回目の誕生日だ。それで前々からどこかに行こうとは思っていたのだが、なかなか調整がつかなかったり、両親の気持ちが乗らなかったりしていたのだが、今回は香港にはもう一度行きたいという両親のリクエストを満たすことになったわけだ。

海外旅行をするのなら、私自身は絶対に韓国に行きたいのだが、両親は香港に行きたいの一点張りだ。韓国に行きたいのに香港に行くというこのジレンマのためにこの計画はこれまでなかなかすすめられなかった。しかし香港で韓国のVCDCDが手にはいりそうだという情報がながれてきて、今回私もやっと気持ちが向いた。考えてみると気持ちがかなり屈折している。

私は香港に8年も住んでいたが、もう10年も昔のことだ。はじめて香港のガイドブックを買った。読んでみるとなつかしいやらこんなにかわっているやらで、一日すぐにたってしまった。これからしばらくの間、香港要チェック時間にはいりそうです。

この旅行の計画中に母もいろいろ言ってくれた。

「やっぱり最後にもう一度南欧に行きたいわ」

しかもこのひとことはツアーにはいらず私が企画をすることで設定されている。両親の荷物を運び、計画通りの実行をし、写真も撮ってととてつもない要求をされているようなものだ。私はこの時だけは言った。ヨーロッパはツアーにはいらないと無理よ。しかも最後、最後といっているけどいつが本当の最後なのか。友達と話をしたけど、私たちは最初もない状態なんですよね。

 香港の話がでてから息子たちはにわかにいそいそし始めている。何回もいつからだっけと聞いてくる。だから私は今まで家をあけなかったのだ。やっぱ2人をおいていくというのは恐ろしいものがあるわ。

 先日のFAXの間違いで、何十年ぶりかで昔の同僚に会うことになった。事前に「私は昔よりさらに太ってしまって、髪も真っ白だからね」と念をおしておかなければならない。会ったときのショックを少しでも和らげるための工作に時間を割くのはもはや否めない。今度の土曜日が楽しみのような恐ろしいような。

 恵比寿の駅ビルでテグキ(韓国映画)のオリジナルサウンドトラック版を見つけた。映画もみていないのにホームページだけで感動している私は万年金欠病のなか、このCDを買ってしまった。CDにはOriginal Motion Picture Soundtrackと書かれている。この意味がまたわからない。ひょっとして音楽をききながら画面がみられるのかと思ったりもしたのだが、コンピューターでどのようにそれを操作すればいいのかもわからない。誰かこれがどういうことなのか、またどのようにすればいいのか知っていたら教えてください。

 土曜日は用事が立て続けにあったのですが、日曜日はくた〜〜となってしまいました。本当に年を感じてます。


今週のomi家

2004年5月10日

次男Tはまだ高校生なので、とりあえず時々注意する。「勉強しろ。試験前には教科書を持って帰ってこい。教科書はすてるな。学校は寝るところじゃない。髪をのばすな。証明写真をとるときにリージェントにセットするな」実にさまざまな注意が飛ぶ。そして時々超現実的な指摘もする「大学にはいれ」さらにごくまれに私の気分が高揚しているときには「東大にはいれ」とも言う。まあ大体の方はおわかりだろうが、息子は東大とか国立大学というものには無縁である。我が家の「東大にはいれ」という一言は「ちょっとは勉強しろ」という一言に等しい。そして息子の反応は「勉強しろ」といっても「東大にはいれ」といってもまったく一緒である。つまり完全無視だ。しかし昨日、「東大にはいれ」といったらめずらしく反応してくれた。

「オレががんばって東大にはいれたら、地球はがんばって逆回転できるよ」

私も彼の意見に異論はないが、こう馬鹿みたいにへらへらといわれるとね。とりあえずがんばって3年には進級してもらいたい。

 次男Tが言った。

「文化祭で清掃の係りをやる。」

すごいじゃない。何もしないでとおしている息子が文化祭で係りを引き受けた。

「えっ? 手をあげたの?」

親はいいほうにとる。

「そんなわけねえだろ。全員何か係りをやらされるんだ。去年なんか委員になっちゃったんで今年ははやく手をあげて楽な係りを選んだんだ。」

なるほど。でも去年は委員をやっていたんだ。何の委員をやっていたのかたずねると、

「オレもわかんねんだよ。一度も仕事しなかったし」

なんだそれは。

 保育園にコバ先生という素敵な先生がいる。年は30歳。(ぐらい。もしもっと若かかったらごめんなさい。)男。未婚。2年前にここの保育園に新任でいらした。この2年間ですっかり保育士の仕事が板につき頼りがいもある。そのコバ先生は今年は最年長の5歳児のクラスを受け持っている。

私は現在、5歳児と同じフロアの0歳のクラスでお手伝いをしている。0歳のクラスはほかのクラスがお昼ねで教室をあけているときも、元気で活動中だ。そこで私はバギーに子供たちをのせて幼児クラスをお散歩したりする。今日も5歳児のクラスに2人の0歳児をつれて寄らせてもらった。教室はちょうど誰もいなく、まだ何もわからない0歳の子達に向かって、

「ちょっと寄らせてもらおうね。」

と言って教室にはいっていった。教室にはいってすぐの壁にみんなの絵が貼ってあった。どれもとてもうまい。特にあざらしの絵は本当に5歳児の絵とは思えないぐらいうまかった。また連れていた0歳の子達に向かって

「みんな絵がうまいね。ほらあざらしだ。たまちゃんかな。」

なんて言っていた。すると突然、本箱のかげからコバ先生が顔をのぞかせた。

「その絵。僕が描いたんです」

えっ!

「その下はしんちゃん(5歳児クラスの子)の絵です」

なんで子供の絵の中に先生の絵を貼ってしまうのよ。先生は明るくおっしゃっていたが私は絶句!なんて言葉をつなげればいいかわからなかった。そりゃ30歳の先生が描いた絵は5歳児よりうまいでしょ。しかし私は子供の絵と思って言ってしまっていたので「だからうまいんですね」ともいえず、そうそうに教室をひきあげた。これからは先生の絵をはる時は別の場所に貼ってくださいな。

同姓同名の友達が2人いる。ひとりは昔からの友達で、もう一人は子供つながりだ。やっかいなことに同じ方面に住んでいる。子供つながりの方の友達から先日電話をいただいて、このomi家の話になった。また読みたいといわれると気分がよくなってしまって、じゃあFAXするからねと返事をした。そしてすぐにFAXを送った。ところが何日か後にもう一人の友達からメールがあった。

「ひさしぶりです。FAXありがとう。」

むむむ。どうやら電話番号を間違えたらしい。友達も突然このようなFAXを送ってきて何だと思ったに違いない。なんでこうなるんだろう。

今日は母の日だ。母の日は私のためではなく私の母のためにあるようなものだ。この日がずっと自分の日でもあることを忘れていた。私だって母親だよ。

今年は携帯電話を母とついでに父にプレゼントした。文字が大きいがカメラなどの機能のない電話だ。しかし私のはまだカラーではなく画面も超小さいので、それから比べると最先端の電話に思えてしかたない。お昼にシーフードスパゲティーをつくり、その電話を持って実家に行った。ところがはじめて電話をもつ両親にこの機械の扱い方を教えるのにどれだけの時間がかかったか。

「自分の家にかけるときは1番のボタンをおして緑の電話マークをおす」

ここまで2人に教えるのに10回以上、実際にベルを鳴らした。全部設定もしてメールも私以外は受付ないようにして完璧だと思って持っていったのに、こんなに大変だとは想像できなかった。あと2人がお互いの電話を使ってかける、出るという動作を繰り返し、自分の電話番号を知るにはここをおしてと教えて、それも何回も繰り返し、電池が1/3なくなっていた。信じられない。朝哉がいつも私に機械類を教えるのが厄介だと言うのがわかるような気がした。

 作っていったシーフードスパゲティーはすっかりさめてしまって、温めなおして食べた。母の日って超疲れる。

 次男Tが母の日のプレゼントに花柄の紙ナプキンとコースターをくれました。友達が母親にワイングラスとワインをプレゼントするといったので、一応それにあわせるためだったらしい。来年はワインがいいなと欲深な母は思います。




今週のomi家



2004年5月1日

ADSLのことを3週にわたって書かなければならないというのは、この設定がどれだけたいへんだったかを物語る。結局ADSLは本来の速度よりも速さを落としてつないだ。しかもIP電話は回線が安定していないということで設定できなかった。10年前にパソコンをはじめた時はADSLとかIP電話などという単語は想像もできなかったが、このように便利になるとひとつでも多くのものがほしいと欲がでる。しかし不完全な状態でもADSLを使いはじめるとこれだけいろいろな世界が広がるのかと手をたたきたくなる。パソコンでラジオの国際放送が聴けるとは思ってもみなかったが、RKI(ラジオコリア国際放送)の放送がちょうどお昼に日本語ではいる。短波でこの放送を聴いている人がたくさんいることを知ったが、短波ラジオがなくてもパソコンで受信できるのだ。韓国のドラマのサイトも第一回無料というものがあって、夏の香りの第一回を視聴した。ものすごくよかった。ただ一回視聴するのに300円強かかるので全編を見るには高いものになる。当分はただのものだけをピックアップしてみることにする。

パソコンそのものに関してはほかにも写真のプリント、そして韓国の旅行記に写真を加え、昨日からは30年もほったらかしにしてあった(この月日は本当にすごいーしかもほったらかしというのが本当のほったらかしでテーブルの横のあたりに30年もほうりだしていた。)ヨーロッパ旅行の原稿を書き直しはじめている。29日の休日は一日使ってハングルを入力できるようにした。これはこれでまたものすごく大変だった。朝、ハングル入力お試し版というのをダウンロードしたのだが、そこからハングルの文字を入力することができず、あっちを読み、こっちを試してと、まず日本語から韓国語に切り替えるボタンを画面にだすのに6時間もかかった。説明どおりにやってもできなく、いらいらの連続だった。それが夜。オールイン(韓国ドラマ)がはじまるちょっと前に入力できるようになりはじめてアンニョンハセヨと書けたときは小躍りするほどうれしかった。これだけ使えるのだからやはりこのプリンターとパソコンを買ってよかった。

51日、連休の最初の日はドラマのサイトでペヨンジュンの初恋が10回まで無料という企画があった。この日に備えて万全を期していたのだが、なんといっても10回を見るというのは10時間以上パソコンのまえに座ることになる。その間に息子たちは周りをうろうろしておなかが空いただの、学校での馬鹿話をするだろうと覚悟しなければならない。ここまで心の準備をして1日当日になった。次男が学校に行くとすぐにドラマを見始めた。10時までに2話まで見終わったということは快調なスタートだ。長男は寝ているしドラマに集中できるはずだった。しかしずっと座っているというのは苦痛がともなう。ついついお茶を飲み、お菓子を食べ続けた。この日だけで反ダイエットがどれだけすすんだか。ラッキーなことに次男は放課後、友達と急遽、映画に行ってしまった。この日長男はバイトがなかったので、お昼ご飯を朝一番に作っておき、ごはんを食べている間もずっと見続けた。これだけ根性をいれて見続けたが、2時ごろ突然ネットがうまく接続しなくなった。「回線が混んでます」という表示が何回もでるし、接続するのにものすごく時間がかかる。1話づつ進めていくので8話以降はものすごく時間がかかった。しかしそれでも10話まで見終わりほっとした。しかしこのとき明らかになったのはこのドラマは64話まで続くということだった。この先はどのように見ればいいのか。頭がいたい。

長男Tがバイトの帰りバスに乗っていると、前に座っていたおばあさんに言われたそうだ。「この子お宅のお子さん?」おばあさんの横に子供が座っており親が隣にいたらしい。本人もまいっていた。しかし考えてみるとその子は私の孫ってことじゃない。おばあさんちょっと待ってくださいな。

長男は第三次世界大戦があると思うといっている。

「どことどこが戦争するの?」

「アメリカとその他の国だよ」

まあありえなくないかな。でも日本はどちらにはいるのだろう。

次男の学校では耐久歩行大会というのが毎年ある。息子は去年から不整脈のためにきちんと参加できないでいる。今年も距離を短くしてコースを歩くだけになる。部活の試合にもでて、人よりも多く水球の授業をうけているのに、こういうときは参加しない方にちゃんと持っていく。しかし理由がある息子だけでなく、この行事になんとか参加しないでいいように努力している生徒もいるそうだ。ある生徒は半年ほど前に医者にかかっていたので診断書を書いてもらおうとしたら、「半年もこないで平気だったので大丈夫」といわれてしまったので、他の医者にあたっているそうだ。当日はそういう生徒が一丸となって楽しく歩くのだろう。

次男の体育の教師は江ノ島でライフセーバをやっているらしい。テレビのインタビューにも応じたことがあり、それは昼だったにもかかわらず多くの生徒が偶然に見たという。その先生がものすごく怖いらしい。去年は胸ぐらをつかまれて怒られたそうだ。しかしそれでおこられることに慣れた息子はその先生が大好きだ。先日もバレーボールの時間にひとりでバスケットをやっていたら怒られたそうだ。(先生も大変だ)「腕立て伏せ30回」「ほーい」と大きな声をだして腕立てをしたらしい。親はそこまででくらくらする。本人は今度、江ノ島に行ったら会えるかもしれないと期待しているようだ。もし学校の生徒が溺れても、「ああ、あれは自分の学校の生徒ですから助けなくてもいいですよ」といわれると思うと信じている。なにかこんなまじめな先生にこんな生徒をおしつけて申し訳ない。

母と大森まで歩いて買い物に行った。途中馬込の桜並木をぬけ、なかなかいい散歩コースである。大森が近くなったところに一軒の素敵な家がある。毎年いまごろの季節にはおたまじゃくしがいる。我が親子はずうずうしくもその家のバックヤードに入り込み、そこの家が所有している池を見にいった。ご主人がちょうどいらして、いろいろ説明をしてくれた。ここの家は大正15年にご主人の祖父によって建てられた。当時はこの近くにはあまり家がなく田んぼばかりだったそうだ。家のつくりはまだ当時のおもかげをのこしており窓枠などは今の建築様式とは異なっている。バックヤードの池のあたりにはかえるがいて、池の中にはえびがに(ざりがにといってはいけないそうだ)がいっぱい泳いでいる。蛇も時々いるそうだ。家には柵もなくご主人はいつでものぞいていってくださいと言ってくださった。本当に東京にもこのような家があるのが驚きだ。

連休で主人が帰ってきている。本当に話がかみあわない。次男が競馬の話をしいると、突然サッカーの話をしてくる。それも接続詞が「ところで」ではなくて「だから」だ。競馬の話からなんでサッカーの話に突然かわるかわからないが、内容を何も考えずに続けるのは周りのものは相当きつい。しかし息子は突然話が変わってもそれに気づいているのかどうかわからないが新たな話題で話をすすめていく。この親子にはついていけないわ。

主人に言われた。会社の全従業員の奥さんの中でただひとり健康診断を一度も受けたことがない人がいる。思い当たることはないか。えっ全従業員!みんなそんなにまじめに健康診断うけているんだ。と初めて驚いたしだいです。そこで私も言った。やっぱなにがあってもいいように保険にはいっておこう。そしたら主人が言った。じゃあ健康診断がいらない掛け捨ての保険があるから、だましてはいろう。なんでだますってことになるのだ。私はまだとりあえず健康だよ。

主人は冬のソナタを見ているらしい。本当にこのひとことはショックだった。韓国ドラマは私にとっては聖域だ。勝手に土足ではいってこないでよと言いたい。しかもこの前の分、見そびれたからビデオ借りていくと言ってくれた。私だってそんなにビデオをとっているわけではないが、主人が見たいところはたまたまビデオがあった。なにかそれも腹がたつ。ここで見ていけばいいじゃないと言ったら、家に帰って、ゆっくり見たいと言ってくれた。ここが家だよと余計に腹がたった。「冬のソナタってストーリーはたいしたことないんだよな」といわれたときは怒りが爆発しそうだった。本当に単身赴任してくれててよかったと改めて思った。

次男のたんすを移動した。私が寝ている部屋から次男が自分の部屋と思っている部屋に移動したのだ。主人と彼で仕事をしたのだが、本当にこの2人はいい勝負だ。どちらが働くか腹のさぐりあいをしている。そして2人に共通しているのはより少なく働こうとがんばっているところだ。その分、私に仕事をまわそうとしているのがよくわかる。そこで私も極力、口をださないでいたのだが、最後にたんすの置き方について口論になった。私は地震に対処できるような置き方をのぞんだが、主人と次男はそれでは部屋が狭くなるといった。私と主人がいいあっていると次男が言った。「そこの2人はコメディアンか」彼はとっくに口論からはなれて好きなことをしていた。やっぱこの家族にはつきあっていけないわ。

主人が帰ってくると本箱がめちゃくちゃになる。いろいろ引き出してそのままにしておく。一度読んだ本を何回も読んだりして本が上にいったりしたにいったり、本箱に飾ってある写真が移動していたり、片付けのきらいな私にとっては気が狂いそうなことになっている。本当に連休というのはきらいだ。

連休はやっと今日で終わりです。パソコンばかりいじって終わってしまった。明日からはまた保育園で子供たちが世話をしてくれる。(おばちゃん大丈夫といつも言われているような感じなんです)


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