今週のomi家

2004年4月24日

今週からADSLを使えるはずであった。しかしかけつけ設定にきてくれたおじさんがモデムをつなげると回線がぷちぷちきれてしまう。結局ADSLに変えることができなかった。おじさんはNTTに回線調査というものをしてもらうように手配をしてくれた。要はどっかがわるくて回線がきれてしまうので、悪いところをなおしてADSLをつなぐということだ。2日するとKDDIから電話がかかってきてなおしましたという。どこでどういう風になおしたのかわからないが、ついたりつかなかったりしたモデムのランプがちゃんとつくようになった。そこでこないだのおじさんにもう一度きてもらうように手配をした。同じ人じゃなければまたはじめからこの状況を説明しなければならない。それは結構大変な仕事となる。おじさんは月曜日に来てくれることになった。来週は、たぶんADSLになる。

ADSLにするだけのことだが、とにかくこの散らかっている家を掃除するのに前回の月曜日まで全精力を使った。しかしだ。今回、月曜日にまた同じことが繰りかえされる。しかもおじさんはこのあたりをちょっと片付けておいてくださいなんて、こともなくいってくれた。それだけでため息ものなのに、もう使われないと思っていたマックがひょっとするとLANを使ってADSLにできるというので、それを長男の想像を絶する部屋に運びこんだ。部屋にマックを入れるということは長男の部屋も掃除しなければならないということで、何十枚ものプリント類、ペットボトルの山を片付けるのに心底疲れた。力つきてマックが今までおかれていた場所は廃墟のようにきたないままほったらかされている。さらにマックの移動の間に部屋はもとの状態にもどりつつあるし、ブラックマンデーとはこのことだろう。

 保育園に三つ子の兄弟がいる。この子たちが3人ともそっくりで、あるとき6つの目で見つめられたら度迫力だった。私がものすごく気に入ってしまっている双子の男の子も元気で通園している。いつも思うのだが人間は0歳の時からそれぞれ性格をもっていて不思議だ。そして人間の本来の学ぶ力というのも0歳から見られすごいなと思う。くちびるをぶるぶるとふるわせて音をだす(いわゆるバイクのような音)を以前、この保育園の子から教わった。(まだ完璧ではない。)教わったといっても1歳の子がそれをやっていてびっくりした私ががんばって練習しただけなのだが。それを今回1歳になったばかりの子にやってみたら、えらくうけて、しかも2人がそれをやってみようと何回も練習しはじめた。この学ぶ本能というものはもともと人間に備わっているものだと強く思った。我が息子達をみているとそれがどうして本来のままの姿で成長しなかったかと思う。そして個人的な課題は1歳の子達がぶるぶるというのが先にうまくなるか、私が1/2世紀ほど彼らより多く生きているので、その根性で先にこれを完全に習得するかである。

 次男Tが学校の英語の新任の教師のまねをした。

「どんどん質問してあてていくんだ。」といっていすから立ち上がり、

「歩く速度で(と自分も歩いて)はい次、はい次とどんどんすすんでいって、みんな答える暇がない。ちょっとわかりそうな子がいると先生が後戻りしてわかるのって聞くんだ。」

本当にそんな授業やってるのかな。自分だけがはやいと思っているんじゃないのと疑ってしまうのは母だけか。

 次男はできればおもいきり楽をして生きていきたいと願っている。それが傍からみてもよくわかる。大学にはいるために勉強するんだったら働いたほうが楽じゃないかとも真剣に考えている。先日は大学にはいれなかったときのために就職先を考えたほうがいいんじゃないかともちかけられた。そんなことを考える間に単語のひとつでも覚えればいいのに頭はそちらに回転していかない。しかし、世の中うまくできているもので、そんなに何もやりたくない息子に去年、学校のテニス部の部長の役がおしつけられた。テニス部をやめたいぐらいなのにそれ以上のことをやらなくてはいけないのはこの上もない苦痛らしい。本人は何回も顧問のところにやめたいといいにいっている。しかしこの部長というのはなるべき生徒がなる。それはテニス部のなかで一番悪い奴がおおせつかるということだ。中学のときの部長はあまりにも悪すぎてクビになった。そこで2番目に悪い、我が息子が指名されたわけだ。テニス部は中高あわせて100名以上の大所帯だ。そして一昨日、1年の部活紹介の壇上にたった息子は言ったそうだ。

「テニス部は出欠をきびしくとります。でられない人ははいらないでください。活動もきついです。ついてこられない人ははいらないでください。以上」

これって勧誘ではなくってテニス部には来るなという申しわたしじゃない。事実、できるだけ部員にははいってほしくないと本人も言っていた。でも母は思う。あんたがやってきた部なんだから出欠は甘いだろうし、活動もたらんたらんじゃないの。この勧誘でどのような生徒がはいってくるか、はいってこないかみてみたい。さらに息子は言った。

1年ってまじめそうですごいよな」

あんたもそういう時期があったのよ。過去を振り返って軌道修正してよ。

 香港のときに同じフラットに住んでいた息子たちの友達が美大に通っている。ホームページをひらいていておかあさんにアドレスをきいた。息子たちよりもはやく私が見たのだが、ものすごくよかった。北欧に研修旅行に行ったときのスケッチと絵が載せられている。

「わ〜〜けんちゃん、こんな素敵なスケッチを描くんだ」

とひとりで興奮した。写真もさすが美大生だけあって上手だ。昔、一緒に遊んでいたときはこのように立派な青年を想像することができなかったが、みんな大きくなったんだなあと感無量だ。

土曜日は韓国人のピアニスト、イルマのコンサートに行った。はじめて知ったのだがイルマというのは本名だそうだ。そういえばイさんという苗字はあるな。家ではルマと呼ばれており、これが自分の名前だということだ。イルマは冬のソナタの挿入曲のピアニストということで日本では有名になった。彼がとてもラッキーだったのはそのマスクとこの日本の韓国ブームだろう。途中のトークが特にうまいわけでもなく、ピアノがとくにうまいわけでもないのに、心にひっかかるものがあるというのは、韓国人がよくいう運命のためかな。彼は日本人に好かれるタイプだ。礼儀正しいし、(トークのとき、インタビュアーの方に飲み物の栓をぬいてあげていた。しかも自分は飲み物を遠慮していた)好感をもてる若者だ。母親は今でもピアニストの道を反対しているということだが、11歳でイギリスに留学させるような家庭に育っているのも彼をつくりだした要因であるといってもいいかもしれない。ひさしぶりに生のピアノの演奏を聴いて心地よかった。

 このコンサートで会場に集まったのは、ほとんどがこの韓国ブームにのっている人たちだ。前に並んでいた人はペヨンジュンの載っている週刊誌をもっていたし、後ろに並んでいた人はどうもペヨンジュンかイビョンホンかわからないけど、集いにいって一緒に写真を撮ったらしい。何人かで写真をみていて、ここにいるのが私、この警備員さんと話したじゃない、なんていっていた。2月に行ったイムンセのコンサートは半分が韓国人だったけど、今回は規模も前回のように大きくなく、会場に来ていた人もみんな日本人だった。そういう意味ではイムンセのコンサートが楽しかったな。でもイルマはなんといってもあのルックスだし捨ててはおけないなとおばさんは思います。


今週のomi家

2004年4月17日

長男は学校で、翻訳ソフトの使い方を習ったらしい。どうせ英語はできないんだからせめて翻訳ソフトの使い方ぐらい覚えさせようということなんだが、このソフトがひどいという。ちなみに長男が

「I am T」

という文をいれたら、「私はタロイモです」と訳してくれたそうだ。本人もソフトももう少しどうにかならないものだろうか。

最近思う不思議なこと。

今、東京駅や品川駅の新幹線乗り場にはたくさんの警官がいる。めだつように台に乗っている人もいる。これはテロの警戒をしているのだが、彼らの一番の仕事は道案内になっている。台にのってめだってくれているので、余計に尋ねやすい。私がちょっとの時間に目撃しただけでも、3人は道を尋ねていた。防弾チョッキまで着て、道案内している警官っていったい何なんだろう。

いつも書いているように今、韓国ドラマにはまっている。このブームで韓国ドラマのサウンドトラック版を探すのは韓国よりも日本のほうが楽なぐらいだ。しかも時々日本でも韓国と同じものが売り出されている。しかしだ。日本で再構成されて売られているものはともかくとして、韓国版は韓国より2倍から2.5倍の値段で堂々と売られている。これもしかたがないかと思っていたが先日、新宿のビックカメラで「冬のソナタ」の韓国のサウンドトラック版が売られていたのだが1.5倍ほどの値段だった。そういえば逆輸入などのCDが安いと問題になっているんだった。次男が「輸入CDは安いに決まってるじゃん」とこともなくいったが、私が今まで見ていた韓国版の高い輸入CDは何だったんだろう。

このバイオと一緒に買ったエプソンのプリンターはスキャナとコピー付というすぐれものだ。しかも写真のネガまでスキャンしてくれる。最近、やっとこのスキャンの仕方を覚えてせっせと今までのフィルムをパソコンにいれている。昔のネガは大部分すててしまったが、やはりこういうこともあるのでとっておくべきだった。暇さえあればコンピュータと一緒にいる。そしてひとつのテーマがまとまってると満足する。これがなんともいえない。しかしだ。この調子でどんどん写真をいれていって最後にはどうするんだろう。

同じマンションで今年大学受験だった人が何人かいる。そのうちの二人は私達母同士が仲がよい。ちょっと前の話になってしまうが、卒業式の日にお花でも届けようと思っていたのだが、時間がなく、入学式の日には絶対になにかプレゼントと思っていた。私の頭には大学の入学式=4月1日とインプットされていたので、3月31日に

「明日は入学式でしょ。おめでとう」

といってケーキを差し入れた。ところがあろうことか、そこの息子がはいった難関私立大学は4月3日が入学式だったのだ。なにが間が抜けていた。しかももうひとりのところは

「入学おめでとう」

とケーキを持っていったら、

「うちは浪人するのよ」

と言われた。なんでこう間が悪いというのかお馬鹿というのかシャキッとした行動がとれないのであろうか。仲がよいので笑い話で終わるがこれが世間一般の人だったら、白い目でみられること間違いなしだ。こういうのを天然痴呆とでもいうのだろうか。もうすぐ保育園の子供たちに

「おばさんどうしてそんなにおかしいの」

なんていわれるんじゃないかと思い、ひやひやしている。

 ご近所の方が去年、ロシアに住んでいらした。ロシアの話などめったに聞く機会がなかったので、話を聞くたびに楽しくロシアが少し近くなったような気がしてきた。そして今回はロシアで撮った写真を絵葉書にしたということで何枚かいただいた。それがすごく素敵だ。白夜の写真は空気のせいか湿度のせいか光の具合が日本で見られないソフトな感じだ。まだまだ知らないことがたくさんあるんだなと思った。

 ここ何日か少々気合をいれて部屋のそうじをしている。というのはいよいよADSLにかえるので、工事のおじさんが来るのだ。我が家は工事のおじさんがびっくりしてその状態を代々伝えてしまうような部屋になってしまっていた。しかしこのたびそれがいくらか緩和され、生まれ変わる我が家というべきか、一世一代の大変革というか、自分ではかなり根性をいれてそうじをした。しかし今日、次男が言ってくれた。いくら掃除したって、性格を直さない限り部屋はきれいにならないな。そうなんです。2日前に片付けたところに昨日片付けたところの荷物がのってしまったのだ。本当にこれってどうにかならないかな。

イラクで人質になっていた5人が解放された。なんといっても人の命がかかわっているのだからよかった。しかし前回も書いたようになにか今の報道のされかたはしっくりこない。政府はみな口をそろえて自己責任という言葉をかかげるし、ある議員なんかは

「未成年なのになぜ親のいうことを聞かせないんだろう」

なんて言ってくれていた。この方のお子さんは親のいうとおり行動したのかもしれないが、親がああいうからこういうからと行動する子なんて少ないないじゃないかと思うのは私だけだろうか。

今朝(日曜日)はどこのテレビ局もこの人質問題の討論会をしていた。そこで何人かこれだという意見の方がいてちょっとほっとした。

民間のNGOの援助というのは自衛隊よりもはやくからイラクの人々の手伝いをしている。もちろん危険はある。しかし困っている人になにかをしてあげたいという気持ちをもった人々の活動というのは政治抜きの真心からきている。自己責任、自己責任といって政府の避難勧告もでているのに勝手な行動をしていると批判している人たちはこのような民間の活動をどのように思っているのだろうか。民間の活動そのものを否定するのだろうか。もちろん今回の5人ももう少し現地の状況を見極めたらよかったという意見もあるだろう。私もそこは同じ意見だ。でも民間レベルの援助を頭ごなしに否定すれば、今後このような活動をする若者は少なくなる。それでなくても受験中心の日本の教育は人のことを考えない若者をつくりだしているのに、そのような活動をするチャンスを今回のこの事件の対処の仕方はますます狭めていくのではないだろうか。報道も同じだ。よく見ていたらカメラマンのひとりはアメリカの攻撃によって苦しんでいうイラクをみんなに知らせたいと述べていたが、そこの部分をカットして報道しているニュースが何局もあった。どれだけのお金がかかったかなんていってくれた議員もいたが、人を助けるためにお金がかかるのだったらそれはしょうがないでしょ。少なくても議員がそんなことをいっているようじゃ、有事のときに国民の命はないなと感じた。

私がここまで今回の事件に対しての報道に違和感を感じているのはやはりイラクに対する戦争が正しかったのかという根本に疑問をもっているからだと思う。よその国の人がきて、純粋に自分たちを救ってくれるのならイラクの人々に反感はなかっただろう。自分の国のモスクまでこわされて、子供たちまでもが犠牲になってもし黙っている人がいたらその方が驚異だ。私は国とか地域とかいう枠をはずして世界を考えられればいいと常々思っている。しかし自分の国にはいってきているアメリカ軍の状況をみると、やはり日本という国をもっと大切に考えるべきなのかもしれないとも思ってしまう。青森の三沢基地を塀の外から見ただけであるが、広々とした芝生にたつアメリカ式のアパートやプライベートビーチは周りの日本の景色とはあまりにもマッチしなかった。特になんでアメリカ軍のためにこの一等地をプライベートビーチにさせるんだろうという怒りさえも感じた。日本のビーチにアメリカ人が一緒にくればいいのにと思うのは私ひとりか。たったこれだけのことに反感をもつのであるから、実際にイラクのようにアメリカ軍がはいってきて学校を軍の拠点なんかにされたら、住民の意識はいやでも反米に向かうだろう。しかし報道はそこを強調して伝えてはこない。日本の自衛隊とのからみもあるせいか、アメリカが間違っているということはなかなかいってはくれない。それを感じているカメラマンがイラクからいなくなったら、何が本当であるか判断できなくなってしまう。

確かに民間の援助団体、報道関係者は自分たちが危険にさらされていることを認識し、もし人質になったら多くの方面に迷惑をかけるということをわかっていなければならない。しかしそれに基づいての行動をただ単にお金がかかるからとか、政府に迷惑がかかるからという理由だけで制限するのは、大きな観点でみたときにマイナスだ。自己責任を中心とした行動を政府が求めるんであればはっきりと人質となったときに政府は犯人と交渉しないと掲げればいい。成田空港の出国手続きのところに大きくその看板をだしてイラクにいくならこれだけの自己責任を背負ってくださいといえばいい。その上で人質事件がおきたら、今回のような発言はやむおえないであろう。

そしてもうひとつ思ったことはもしイラクで活動している人々の行動が今回のようにマイナーでなくプラスの方向に動いていたら政府はどのような発言をしたのだろうか。民間の援助団体に国際的な賞が送られたり、イラクで撮られた写真が国際的な賞をとったら政府はそれでも自己責任という言葉を前面にもってきただろうか。

今回の報道をみていると、すべてのイラクでのできごとをこの人質になった人たちになすりつけているようでいらいらしてしまう。どうしてイラクの人たちがこのような行動をするのか。どうして日本は自衛隊を派遣しなければならないのか。どうしてアメリカは多くの国の反対を押し切って戦争にふみきったか。この5人の人たちの責任を問う前に考えることはたくさんあるのではないだろうか。自己責任、自己責任といっている政府、国会議員はそれらの根本原因をあいまいにするためにこの単語を発しているように感じてならない。

そしてもうひとつ今回のイラクからの映像を見て感じたことは多くの国はイラクの戦後にむけてもうすでに行動を始めている。それはイラクの石油ビジネスに参入することであるが、その足がかりをつかもうとしている国はしたたかにイラクにはいっている。(あるニュースキャスターはなぜ中国人がこんなところにいるんでしょうかね、なんて馬鹿なことをいっていたが、世界は動いているんですよと教えてあげたいな)日本はこのことにかかわる必要はないとはっきり言えるが、自己責任を連発している間に世界は自分の国の利益を考えて行動している。世界の動きを大きく見る目もほしいということを付け加えておく。

(これは日本がイラクの石油ビジネスで儲けてほしいということでは決してなく、日本の一般市民は私も含めて世界の動きにうとい、もっと世界に目を向けなければならないということをいいたいのです)


今週のomi家

2004年4月11日

次男がなんやらあせって英語の宿題をやっていた。

「エジソンは車掌に耳をたたかれて耳が聞こえなくなったの?」

「そんな馬鹿な。そんなことをしたら車掌は訴えられるよ」

「でもそう書いてある」

「耳が聞こえなかったのはエジソンじゃなくてお母さんじゃなかった?」

「でもこの文はそうは書いてない」

「じゃあエジソンもおかあさんも耳が聞こえなかったんだ」

といいかげんなことを言っておいたが、念のため英語の文を読んだら、本当に車掌がやったと書いてあった。しかも母親のことは書いてなかった。息子のいいかげんさは私譲りなのかもしれない。いったい誰のおかあさんが耳が聞こえなかったんだっけ?(よく考えたらベルでしたーベルはおかあさんの耳が聞こえるような機械を作りたくって電話を発明したんだった。−なんて親孝行なんでしょう)

 この会話の中で発見したのは昔はよく使われていた「つんぼ」という単語を息子達は知らなかったことだ。この言葉は差別用語的なニュアンスを持っているが、昔は先生ですらも「おまえはつんぼか」なんて怒っていた。今の子供たちはそのようないわれかたをしないのだろうし、ハンディーキャップをもっている人たちにも失礼にあたる単語は使わないという教育がされているので結局、このつんぼという単語は死語になったようだ。これは現代の教育の成果(うちの息子たちだけが成果をあげているのかもしれないがーなんせ国語の成績が2人ともひどすぎる)であるといってもいいだろう。

 新学期がはじまった。長男は7時に家をでていく生活が戻ってきたが、家に帰ってこない生活もまた戻ってきた。あっちこっちに友達がいて何よりだが、めんどくさいから家に帰ってこないというのは本当の居候のような生活だ。始業式の日はひとりの下宿先に11人が集まって昼間から次の日の朝まで居座ったそうである。2年になるとコース別というのがあるらしいのだが、どのコースに自分が属しているかわからない学生もいるらしい。結局、日本の学生は平和なんです。

 次男は始業式の日に学校で発行している小冊子をもってきた。4年生の欄―

「最近エレベーターで遊んでいる生徒がいます。(息子のことだ)エレベータ会社から使い方がひどいといわれました。途中でエレベータを止めたり、止まるはずのない2階にとめる生徒もいます」

ここまできたとき、息子の目の奥がきらりと光った。

「どうやったら2階に止められるんだろう」

この本を見せなかったらよかったかなあ。

 この小冊子の表紙に次男の友達の書いた絵が載せられた。

「すごいじゃない」

「あいつ美術部だからな」

「えっテニス部じゃないの」

「美術部にもはいっているんだよ。柔道部にもはいってる」

なんかすごい友達だ。おかあさんによると、

「えっ!うちの子美術部にもはいっているの?」

ということでした。

この友達ともうひとりの友達は今、献血にこっている。献血にこっているというのはおかしな話だが、学校の帰りに五反田で時々、献血をするらしい。そうすると献血ルームでお菓子食べ放題、漫画読み放題だというのだ。ときどきポケットにまでお菓子をいれてくるそうだ。それをうらやましく思った息子が献血してみたいと言い出した。

「待ってよ。不整脈なのに人にあげる血はないじゃない」

でも息子は食べ放題、漫画読み放題がとても魅力らしく

「でも検査のときは血をとるよ」

とまで言い出した。だいたいのことはめんどくさいのでOKをだすが、これだけは断固拒否した。(あったりまえでしょ)

 ご近所の方のお知り合いの息子さんがテレビロシア語講座に今年度でるということで土曜日の朝6時からテレビをみた。何回もこんにちはという単語を言っているのだが、なかなか発音できない。しかもちょっと時間がたつと最初は何の音だったけとわからなくなってしまう。最初がズと覚えるのに一週間かかりそうだ。しかたないからテキストを買ってきたが、多くの学生と同じように覚えなければテキストを持っている意味がない。これは完全に挫折しそうだな。

 今週からTVKテレビで韓国ドラマの「真実」をやりはじめた。これで毎週5本も韓国ドラマばかり見ることになってしまった。同じチャンネルの「星に願いを」は時々野球でつぶれるらしいので、がまんできなくなってビデオを借りてみてしまった。ついでに「愛の群像」もビデオやで借りられる5巻まで借りた。今度は6巻からみるんだということを真剣に覚えておかないとまた4巻とか5巻から借りてしまいそうだ。余計なところに労力を使うので大変だ。

イラクで日本の民間人が誘拐された。一部で政府に迷惑をかけているというような意見が言われているようだが、それはおかしい。また外務大臣がプレスも含めて在イラクの日本人はイラクからでてほしいといわれたがそれも違うのではないかと感じた。この発言が真に命の危険があるからという発想からでていれば問題ないのだが、なんとなく政府に余計な仕事をさせるなといわれているような感じである。このような民間の人たちの心のこもった行動が本当の意味での誠意ある行動だと思うし、報道関係の人が命がけで流してくれるニュースをみて今、何がおこっているのかを知ることができる。もしプレスの人をイラクからださせるのであれば、どのように私たちはイラクのことを知り、どのように自衛隊の活動が意義あるものであるのか判断することができるのだろう。この3人は物見遊山ででかけているわけでは決してない。今井君は高校を卒業したばかりで、自分の目でイラクをみたいと思って戦地に向かった。私は今、このようなきちんとした意見をもち、自分の正しいと思ったことを行動できる若者が日本にもいたのかと感動した。このような若者がよい日本を作り出していくのではないだろうか。彼らをバックアップしてあげるぐらいの大きな容量を政府は持ってほしい。だいたい私が香港にいたころは日本の政府は本当に何かあったら私たちを救ってくれるかということが何回も話題になった。私と身近な友達は有事のときはアメリカ総領事館に行ったほうがまだめんどうを見てくれるのではないかということになっていた。今回も外務大臣の発表はまずは行かないでくれではなく、3人の命を救うということだけに集中してほしかった。今はこの3人の若者の無事を祈るだけです。


今週のomi家

2004年4月3日

保育園の仕事がはじまった。半年ぶりに再開した子供達はすっかり大きくっている。ほとんどの子供はもう半年間のブランクで私の顔を覚えていないが、なかには忘れていない子もいて、すごい子も世の中にはいるとびっくりする。まだ話せなかった子が会話をするし、やっと歩いていた子が階段を下りてくる。保育園にいくたびに思うが、子供たちは未来を感じさせてくれる宝物だ。

保育園がはじまる前の数日は貴重な休暇だった。次男の検診もあったが、それをのぞけばハッピーなことが多かった。友達と食事をするためにいつも行っている恵比寿のガーデンプレイスのお蕎麦やさんに予約の電話をいれた。この店は高校時代からの友達の家が経営している。そして予約の電話が彼女との近況報告をかねている。学生時代はなんといってもこの友達が最高の存在だった。一緒に旅行にいき、彼女が編み物をすれば私が習い、彼女が料理を覚えると私もそれを覚え、彼女がタイプを習うと、私がテキストをかりて一緒に覚えた。そのおかげでこのようになんとか今でもワープロができる。私の人生の前半を一番よく知っているのも彼女だ。彼女は大学時代オーケストラに所属し、そこでご主人と知り合った。今ではご主人が実家のお店を引継ぎ、多くの支店をだしている。が、なんと私が一番気に入っている恵比寿店を店じまいをすることを知った。丸の内に新しいお店をだすので恵比寿はしめるというのだ。このお店をとても気に入っていたので残念でたまらない。当日はうっすらと見えた富士山をながめながら、お弁当をいただいた。何回も行ったが本当にいいお店だった。今度は丸の内店に寄らせてもらいます。

次男が突然すばらしいことをおもいついたように言ってきた。

「地球の自転と反対にまわったら過去にいけるんじゃないか」

最初はものすごいスピードで自転にさからうのかと思ったが、なんとそれは

「飛行機でどんどんまわれば時間が戻るじゃない」

という稚拙なものであった。このような馬鹿なことをいう小学生も今ではすくないと思うが、それが高校生で我が息子だと思うと形容しがたいなさけなさが押し寄せてくる。

「地球をどんどん回っていけば日付変更線があるじゃないか」

「ああそうか」

本当に本当に来年は理系のクラスにすすむのか。本人はさておいて親は不安でいっぱいだ。そしてその2.3日後、また不安が押し寄せた。代替エネルギーのことを話していた時だ。

「海水はいっぱいあるから、海水を使えばいいんだよ」

「なるほど」

「海水を電気分解して・・・」

「電気を使うんだったら、なにもほかのエネルギーを考えなくてもはじめから電気を使えばいいじゃない。」

「でも海水に目をつけたところはよかったよな」

そういう問題かな。

 30日は両親と日帰りで京都に行った。私は京都の桜の写真を撮りたかったのだが、あいにく雨だった。父が金閣寺に行きたいといったので、京都駅を降りて、タクシーで金閣寺に向かう。京都のタクシーの運転手さんは観光都市ということもあってか、親切な方が多い。あとで知ったのだが、観光を目的として運転しているタクシーと一般の人のタクシーはなんとなく分かれているそうである。(なるほど)そして最初に乗ったタクシーの運転手さんは、京都市内の奥の方の金閣寺にいくまで、「ここが本能寺の跡です」とか、北野天満宮の中を通って「梅がきれいなんですよ」など説明しながら行ってくれた。

 金閣寺は人の波だった。雨にもかかわらずよくこれだけの人が集まると感心したが、自分もその中のひとりだったというわけだ。庭園を歩くときも蟻の列のように連なっている。前のおばさんがハングルで話していたのでおもいきって話してみる。「ハングゲソ ワッソヨ」(韓国からきたの)本当はもっと丁寧ないい方をしなければいけないのだが(たぶんオショッソヨという)それを考えると話ができない。おばさんはちょっと驚いた。そこで「ハングルルコンブハゴイッソヨ」(韓国語を勉強してます)といってみた。しかしそこで会話がとだえた。おばさんはソウルから来たといったのだが、私は自分が去年ソウルに行った、というのとソウルはいい町だという簡単な文を作れなかったのだ。まず去年という単語がわからなかった。そこで私はソウルに行きましたという文を作っていってみた。ソウルヘワッソヨーーこれじゃソウルへきました、という文だ。しかし大勢の人におされながら、私の頭はカッソヨからワッソヨへ勝手に変換をおこし、おばさんに嫌われてしまったのだ。韓国ではあんなにうまくいった(自分ではそう思っている)会話ができなかった。京都まできて自分の実力を知らなくてはならなくなったというのはかなりつらい。

 しかしこのミニトリップのツアーコンダクターをしている私はそんなことにこだわってはいられなかった。人ごみの中から両親をさがし、次の目的地、平野神社まで行かなくてならない。平野神社は金閣寺の途中でタクシーから見たとき、桜がきれいだったので、急遽、観光することになったのだ。金閣寺から歩いて10分ほどの神社だが、金閣寺とは違い人が少なかった。とにかく金閣寺には行ってはいけない。もしどうしても行きたい場合は開門と同時にはいるぐらいの気合がなければここのよさを発見することはできないだろう。平野神社の桜は満開にちかく、桜で有名な神社というだけに、境内が桜色に染まっていた。雨にもかかわらずどんどん写真を撮った。桜の季節にまた京都にこられるという確約などとこにもない。写真はとれるだけ撮っておくというのが今までの経験から得たことだ。京都はしだれ桜がきれいだ。母の話だと京都はしだれ桜が多く、東京には少ないのだが、東北にいくとまたこれが多くなるということだ。タクシーの運転手さんによると、桜を見に京都にくる人も多いということだ。これって桜を見に、ソウルに行きたいという私の気持ちにすごくにているのかもしれない。

 平野神社から南禅寺に向かう。南禅寺は将棋で有名な坂田そうきち(漢字がわかりません)が将棋をさす場所かさした場所ということで絶対に父が来たかったのだ。なにかそれだけのために京都の西から東に移動するのはもったいないような感じだが、行きたいところだけを少し見学するというのがこのトリップの趣旨なので一応それは満たしていることになる。南禅寺に着いたときは雨がひどくなっており、母は大きな総門の下で雨宿りをし、私と父が寺をひとまわりした。ここは広いし人もすくなかったので風情があった。昔、ここにきた時は哲学の小道を歩いたが、今日は雨も降っているのでここの寺だけだ。

 ここを見終わると時間がもう1時半を回っていた。どこでお昼を食べるかだ。私はこのときのためにホテルオークラのレストランを調べておいたが、母はなんともう駅に行こうというではないか。駅でゆっくりお昼を食べて、買い物をしたいという。こういうときは圧倒的に母の意見が強い。朝調べたホテルオークラはどこかに消え、結局、駅の上にあるホテルグランヴィアでてんぷらを食べた。ここのホテルは悪くない。てんぷらもどことなく京都の味がしておいしかった。泊まるのならここがいいなあと思った。まずなんといっても荷物を持って歩くことはないし、新幹線にもすぐ乗れる。どこの駅もこのようなホテルができると楽だと思う。

 新幹線の時間まであと一時間というときになって、伊勢丹の地下でおみやげを買った。あまりにも銘菓というものが多くて目移りがする。そこでひとつだけこれは絶対というものを書いておく。それは東京でも売っている柿の葉寿司だ。これは絶対に東京で売っているものと味が違う。京都で買ったものの方が甘みがあっておいしい。母などは明日の朝の分といってパンまで買っていた。なにも京都でと思ってしまうが、伊勢丹のパンを東京で買いにいくとすれば新宿まで行かなければならない。それを思えば京都といえどもこの場で買った方が楽だ。今回の京都は雨だったが、久しぶりの関西に日本の春を見たような感じであった。(ただあわただしかったです)


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