今週のomi家

2004年3月27日

3月ももう終わりだ。4月1日からいよいよ保育園の仕事がはじまる。先日保育園にご挨拶にいったら相変わらず明るい雰囲気で、子供のいるところはいいなあと改めて思った。

今週は次男の終業式があった。本人は成績表をもったまま友達の家に遊びにいってしまった。とにかく2年に進級できそうでほっとしている。(一時は赤点がどうのこうのと本人が騒いでいた)この終業式の日に5年生(高校2年)のクラスわけも発表された。4年間続けて体育の教師が担任だ。これってすごい。体育の教師が担任にならなくてはならない要素が息子にあるのではないかとひそかに心配もしている。ただ去年から見ていただいている先生は親子で気に入っているのでよかったのだが。

長男が朝、アルバイトから帰ってきて、シールをあつめるとサッカーシャツをプレゼントという広告をテーブルにおいた。そこでこの商品を極力買うようにしようかといったら、その必要はないという。

「いいんだよ。したのごみ置き場にいって缶をさがしてシールあつめるから」

「お願いだからそんなことはしないで」

「大丈夫だよ。夜やる」

「余計やばいじゃない」

ここからは長男のひとり芝居になる。しかも声を1オクターブあげていると想定して読んでください。

「ねえねえあそこの息子さん知ってる? 毎晩ごみ置き場にいるらしいわよ」

「まあなんでかしら」

「こないだはつかまったらしいわよ」

「まあたいへんね」

おいおいそんな芝居やってどうするんだ!

 韓国マイブームは一時期に比べるとちょっと落ち着いてきた。この半年は何年かぶりの一人旅で韓国を訪ね、その後遺症とでもいうべき症状が続いていたのだが、やっとそのハイテンション状態がおさまったということだ。NHKドラマの「美しき日々」もおわり、それが一段落の要素となったのかもしれない。「美しき日々」の放映中に韓国に行き、旅の途中でドラマの音楽が頭をかけめぐっていた。今もよく友達にいただいたサウンドトラック版のCDを聞いているが、秋の紅葉のころとは季節もかわり、あの時のようにぐっとくる感じは少なくなってきた。人間の中にインプットされている季節の感覚というのはすごいなと思う。4月からは待ちに待った「オールイン」がはじまる。もう超超楽しみだ。(やはりマイブームは終わってないかも)

今日27日は2本の韓国の映画が封切りになる。次男に一緒にみにいこうといったら、

「俺、ひとりでみにいくのがあるから」

と断られた。レジェンドオブメキシコとかいう映画で前売り券を買ったものの友達がみんな金欠病でいけないというのでひとりで行ったのだ。新聞で映画館をさがし、ネットで場所をしらべ渋谷にでかけた。さすがに私もひとりで映画を見に行くことは心配だったが、本人は映画館と渋谷警察を間違えそうになったいがい問題はなかったと帰ってきた。とんでもないところと間違えそうになったものだ。私も昨年は一人で韓国の映画を見にいったが、ひとりで映画に行くというのもなかなかいいものだ。息子にも韓国映画を見てほしかったのだがしかたない。今回も時間があったらひとりで行くとしましょうか。

 テレビとラジオの韓国語のテキストを買った。4月は新しく開講する月なのでテキストを買うのも楽しみだ。テレビはやはり小倉紀蔵先生だ。テレビの韓国語講座は私がみはじめてからはずっと小倉先生だ。しかし内容はテレビドラマのことが多くかかれるようになってきておもしろくなっている。前はユンソナちゃんがでていて、それもおもしろかったし、今の語学講座というのは昔と比べると本当によくできていると思う。NHKのラジオ講座は高校生の時からしばらくやっていたフランス語の時からのつきあいだが、安いし毎日あるし、いたれりつくせりだなと、いつも思っている。今年度もまたがんばってハングルを勉強します。(毎回いっているけどそのわりに上達は少ない)

 アメリカのポールに作っている刺繍は12日を目標としていたが、いまだにできあがっていない。どうしよう。春の花という題なのだが、季節がすぎていってしまう。今日もこれから007を見ようかローザンヌのバレーコンクールをみようかとテレビに心がいっているし、11時からはユンソクホ監督がでる番組があるし。しかしなんとか来週中にしあげなければ。ポールからは私の両親がこんど金婚式なのでそのお祝いのカードまでいただいて恐縮しています。

 


今週のomi家

2004年3月20日

3月17日(今日)は私の誕生日だ。9の字がつく誕生日はいろいろ思いでがある。19歳のときははじめての海外旅行中でチューリッヒにいた。昼間は山に登り、夜はオペラをみて、そして夜中はなんとホテルのバーにいった。友達が「今日は彼女の誕生日だ」といったら、向かいにいたおじさんがお酒をごちそうしてくれたし、バーのおねえさんがハッピーバースデーを歌ってくれた。今から思うとなんて危なっかしいことをしていたのかと思うけど、もう二度とはない思い出だ。29歳の時は長男がうまれた。39歳のときは香港から日本への帰国。そして49歳になってしまった。来年は50歳と思うと人生の折り返し地点はもうとっくに過ぎているのだなあと感慨深い。(ここまで書いてわかったのですが、なんとこれを書いたのは16日でした。−ひょっとしてもう痴呆がはいっているんじゃないかと自分でも心配です)

今週決まったことは保育園に戻ることだ。膝の痛みがあったのだが、ここのところ暖かくなってだいぶ調子がいい。しかも4時間半という時間帯がまだ勤務で残っているときいて喜んだ。よく近所で保育園の子供と会うけど、やはり保育園の仕事は楽しみがある。あと10日、膝を大切にして体重をおとさなければ。

保育園のみなさんまたよろしくお願いします。

今年はアテネオリンピックの年だ。マラソンの選手が決まった。高橋尚子が落ちたということで朝のワイドショーはいっせいにその話題をとりあげていた。フジテレビの朝のワイドショーは前回に書いた大村さんも出演している。このワイドショーの女子アナはかわいくっていい感じの人だ。しかしどうも司会者がいまいち好きではない。この日、いつものように深夜アルバイトから帰ってきた長男と一緒にテレビをみていた。長男が

「この人って馬鹿だと思う」

と言った。このあたりの感性は私と共通したところがある。

「う〜ん。でも馬鹿な人がよく馬鹿だってわかるねえ」

というと、

「同じにおいがするんだよ」

といった。なるほど。

サッカーの予選の最終15分ほどをのこして、彼はアルバイトに行かなければならない。そこで私がメールをいれる。3-2.たたこれだけのメールだ。余計なことはいれるなといわれた。やってあげてるわりに注文が多い。

そしてサッカーはオリンピックに出場できることになった。このまえまで高校生だった平山君は今度はアテネだ。本当に何回もいうけど平山君のおかあさんっていいなあ。

次男は試験休み中だ。今回は学校に部活にいくことが多い。なんと練習試合もはいっている。日にやけており本人はその「日にやけた」ことに満足している。部活にいくと再試の生徒も登校しているらしい。再試といっても気にしているのは親だけで、受けるほうもそれをみている方もまったく気にしていないのがいい。あかるくって何よりだ。今回の試験中カンニングがみつかったそうだ。しかし古文の試験中、先生に答えを聞いている奴もいるのだから、ひとりだけカンニングというのはまずいんじゃないかというと、

「いや、答案用紙の下にプリントを10枚ぐらいおいていたらしい。それが先生にみつかって、ちょっとやりすぎじゃないかっていわれたんだって」

と詳細を教えてくれた。このすごいカンニング事件は試験中なのに生徒間の情報網により次の時間には全クラスに情報がいきわったたそうだ。本当にみんな試験をなんと思っているやら。 

今日、20日はイラク開戦から丸1年だ。東京でもテロがおきるかもしれないというので、鉄道はかなりの警戒をしているようだ。次男にも今日はでかけるのをやめろといった。私は自衛隊派遣反対のデモに行こうかとも思ったが雨が降っているのでやめてしまった。今日は世界中の国で戦争反対のデモがおこなわれる予定だ。今回のスペインのテロのあとに政権がくずれて軍の撤退という事態が正しいのか、そのままアメリカに協力するのが正しいのか、どちらがイラクの国民のためになるのか、よくわからない。でもはっきりいえるのはイラクの人々は苦しんでいる。この単純明快なことが前面にでてこないために混沌とした状態が続くのは断固許せない。



今週のomi家

2004年3月14日

 前回も試験の話でいっぱいだったが、話はまだ続く。だらだらしている息子をみて、試験のときぐらい勉強したらどうだと言った。すると

「明日何かが起こるかもしれない、何か起こったら勉強してなくってよかったと思うよ。」

といわれた。

「何も起きやしないよ。」

と断言すると、

「どうしてそんなことがいいきれるの。北朝鮮が原爆落とすかもしれないじゃないか。」

といってくれた。私もこの際だからはっきり言っておいた。

「北朝鮮だって、あんたの試験の日には原爆をおとさない」

こんな馬鹿な会話で貴重な起きている時間がすぎていく。

「人間は生きているうちの三分の一は寝ているんだよ」

というのが彼の決まり文句だが、あんたは二分の一だろうがといってやった。

 
 私のもっとも苦手なのは片付けだ。本当になぜこんなに片付けができないのか自分でも不思議なぐらいだ。友達からファックスが届いた。ファックスの用紙に印字されているファックス用紙が混じっていたので字が二重になってしまった。その上、ファックスが紙詰まりをおこし、しまいには印字されなくなった。画面はしきりにファックスの紙詰まりをとりのぞいてくださいと叫んでいる。しかしだ。ファックスの説明書をどこにやってしまったか。探しに探した。そしてでてきたのが、前に使っていたファックスの説明書だ。なんでこんなものがこんなに便利な場所にあるんだと腹立たしくなる。ファックスは相変わらず紙を取り除け、取り除けと叫んでいるし、なんでもっとファックス自体わかりやすいものにしないんだろうとイライラした。そして最後に説明書をみつけた。電話の横の紙たちのしたからあらわれたのだ。読めば簡単なことだった。ファックスの前面をボタンをおしてちょっとあげるだけで、自動的に印字されたのだ。本当に便利なのか便利じゃないのかはっきりしてと思った。

 今週も土曜日は仕事だった。これで3週間続けて土曜出勤だ。まったく働かせすぎじゃないのかと思う。しかも伝票の山の中に埋もれているので、目は疲れるし、肩はこるし、本当に仕事って楽じゃないと思うこのごろだ。加えて一緒にいる超かんじの悪いおねえさんとも最低限の話をしなければならないし、(できるだけ下を向いて話さないようにしているーーだから余計に肩がこるんだ)年をとっても人間、新しい環境って降ってくるのだなあと思う。

時々、去年行っていた保育園の子供に会う。いつみてもかわいい。行っているときも楽しかったが、今になってみると本当にいい職場で働いていたなあと思ってしまう。子供たちは私の顔を覚えていないが、お母さんたちは覚えていてくださって、話しかけてくださる。心がなごむというのはこういうことなんだろう。

 次男の試験が終わった。試験最終日は来年度の身分証明書の写真を撮る日だった。その日も試験があるにもかかわらず、息子は朝から入念にリージェントに髪をセットし、おまけに友達の家に寄ってくるというので、ギターまで背中にくくりつけて出かけた。そのおかげか?今回、赤点がなく、無事に進級できそうだということだ。あと2回進級を心配して、卒業を心配して、さらに受験まで心配しなければならないと思うとまた白髪が増える。

 長男はまたクロネコで深夜アルバイトをしている。昨日は朝戻ってきて、仮眠をとりFC東京のサッカーの試合をみにいき、そのあと夜、同窓会にいっていた。やればできるじゃないか。試験だってそのくらい根性をだして取り組めばなんてことないだろと思うのだが。

このごろは私に何か頼むとき、私がすぐに忘れてしまうので反復させられる。

「今日、7時に起こして。」

「わかった」

「いってごらん」

「7時に起こす」

といった具合だ。これじゃ私が無能ということじゃないか。しかしだ。それでも彼は目覚ましを使わず、私を使う。親は便利な道具なのか。

 12日の金曜日は次男の病院の予約をするために仕事をやすんだ。朝8時前には家をでた。とにかく本当に病気になったら病院にはいけないなと毎回思う。予約を取った後、新宿から丸の内線で銀座にでて、三越によった。すでに三越カードをもっているのに、主人が丁寧にもう一枚つくってくれたので、今まで使っている分をキャンセルしたのだ。その後、山野楽器の例の韓国のコーナーをのそいて、「あっ!もうホテリオのサウンドトラックがない」と心の中でさけんで、(これを声にだしたらちょっとおかしいと思われるだろう)CDのチェックをした。やはりソウルにいけばほしいCDは手にはいるのにと思う。そしてそのまま新橋まで歩いた。この日はなんと母と叔母と一緒に食事をすることになっていたのだ。母は私が休むことを知るとすぐにレストランに予約をいれた。これじゃなんのためのお休みか。

新橋からゆりかもめに乗ってお台場に向かう。このゆりかもめにのっている時間にイルマのCDを聞こうとバッグにCDウオークマンをいれたのにない。確かにいれたのにない。がっかりしてあきらめた。しかしだ。目的地のメリディアンホテルのトイレでバッグをみたら、なんとそれはあった。その日ケースを青から黒にかえてもってきたのだが、黒のバッグの中で黒いケースだったのでわからなくなってしまったらしい。やはり長男が自分の要求を反復させるのは正しい判断なのかもしれない。

メリディアンホテルの30階のスカイラウンジは時々くるけど、眺めがものすごくいい。レインボーブリッジをとおる客船や貨物船もおもちゃのようにみえるし、東京で海を見ながら食事ができるというリッチな環境である。

食事のあと、ゆりかもめの駅の方へ歩いていると、突然叔母が私をひっぱった。前から来た3人の男性のひとりが叔母ににこっとした。一瞬私はなんのことかわからなかったが、それはなんんんとフジテレビのリポーターの大村さんだった。前から感じのいい方だと思っていたが、叔母が彼と気づいたら、にこっとしてくれたのだ。超いいかんじだ。しかしだ。また本当にしかしだ。なぜ私は横を通ってしまうまで大村さんと気づかなかったのか。叔母が「だから腕をひっぱったじゃない」といっていたが、そんな突然腕をひっぱられたって、大村さんが通るなんて思ってもいなかったといいたい。腕をひっぱられた瞬間、私は3人のうちのインド系の男性を瞬間的に見ていたのだ。なにか本当に要領が悪い。しかも私と叔母を比べればどう考えても私の方が若いのに大村さんは叔母ににこっとした。これってありなの、っていいたい。今度あったら大村さん、絶対に私の方ににこってしてください。

叔母が新宿に行くというので、汐留でゆりかもめをおり、叔母はそこから大江戸線に乗った。

そこから私と母は新橋まで歩いた。母は地下道を歩いていくと新橋に行けるという。でもその案内図を見るのは私だ。まあ本当に疲れるわ。汐留の駅は新しくきれいで、新橋まで行く途中は日テレの新しいビルもあった。日テレとわかった瞬間、またリポーターがいないかと思ったが、リポーターをみつけるよりもはやく母が資生堂ザギンザの店で気に入った帽子をみつけた。あれやこれやとみて、気に入った春夏用の帽子を買った。その間、買い物とは無縁の私はずっと荷物持ちをした。どうしていつもこういう展開になるのかわからないけど、私は常にこのような役にまわされる。まあそれでも食事に誘われるだけいいか。

 土曜日から主人が帰ってきている。主人も息子たちに似ている。というか息子たちがこの主人に似てしまったという表現の方が正確だろう。次男の勉強なんかにはまったく関心がないが、次男もそれを見越して、テストのよかった科目だけをつげている。それをまともに聞いた主人が私にむかって「Tはだんだん成績があがっていってるじゃないか。これなら100番以内も目の前だな。」といってくれた。主人の目の前はどのくらいの距離があるかわからないが、双方いいところだけを言って、聞いて、本当にお気楽だと思った。

そしてさらに褒められていい気分になった息子は政経の答案用紙をとりだして見せだした。答案用紙の半分は白紙である。本人によるとこんな問題みたことがないというのだが、まったくみたこともないような試験が学校の試験にでるわけないだろう。そして主人が言った。

「すごいなあ。ここ、三択なのに全部違っている。ここまで違うのはたいへんだろ」

なぜそういうことに感動するのか。すると息子も調子にのって、

「そうだろう。ここまで違うのは大変だったんだぜ」

といってくれた。私は政経が赤点なんじゃないかとそればかり心配していたのだが、(本人が政経はあぶないと何回も言っていた)このふたりの会話を聞いていろいろ心配するのは無意味なことだと再確認した。そして答案用紙に「こんな問題だすんじゃねえ」と書いてマイナス5点になっていた。よく平気でへらへらとこんな答案用紙を見せてくれるもんだと目がつりあがってしまった。

 日曜日、朝トイレの電気をつけようとしたら、電球がきれた。その後主人が「トイレの電気きれてるぞ」といった。そして次男が「トイレの電気きれてるよ」といい、さらに長男までが「トイレの電気つかないわ」と教えてくれた。みんな私に言えばなんとかなると思っているのが腹立たしい。やっぱり私は便利屋なのか。(結局、午後になって次男が電球を買いに行きました)



今週のomi家

2004年3月6日

 次男は学年末試験中だ。今回の試験では数学は100点だと言った。試験の前の日の話である。試験が終わって帰ってきたので聞いた。数学は100点とれそうかと。すると

「そう甘くはないんだな。よくても60点だ。」

期待はしてないが、なんで一晩で40点以上の差がでるのか。

国語と化学の試験の前の日には

「国語が赤点でないのと、化学の点数のいいのとどっちがいい?」

と聞かれた。なぜ前もって勉強してないのか。いいたいのはそれだけだ。

古文はもっとも苦手な科目だ。試験前から絶対に赤点は免れないといい続けていたが、前の日になって、今回は古文は自信があるとまたもやいいだした。なんでも友達が河合塾から資料をもらってきて、それをコピーしたそうだ。しかも当日の試験の監督官が古文の先生だったらしい。試験中に質問したそうだ。

「先生、ここあってますか?」

先生もおおらかだ。

「あってるよ。」

これって授業中のできごとじゃなくって、学年末試験の最中のことだ。ほかの生徒は答えまで聞いたらしい。信じられないというのはこのことだ。

とりあえず、彼も試験中は勉強しているスタイルはとる。しかし相変わらず、学校から帰ってきてもワイシャツ一枚でうろうろしている。

「そんな格好して寒くないの」

「布団にはいってやっているから平気だよ」

「なんで布団にはいってやるのよ」

「寒いから」

なにか馬鹿親子の会話だ。

現国の試験では川端康成の作品の「千羽鶴」の鶴の字がかけなかったので「千羽鴨」と書いておいたそうだ。伊豆の踊り子が教科書に掲載されていて、それで川端康成の作品を2つ書けという問題だったらしい。

「やっぱひとつは伊豆の踊り子って書けばよかったかなあ。でも文章はでてたしなあ」

ひとつひとつつきあってはいられない。「伊豆の踊り子」でも「千羽鴨」でもいい。赤点さえとらなければ。

息子も息子だが友達も友達だ。試験の前の晩の10時ごろになってから、電話がかかってくる。

「試験範囲のプリント、ファックスして。」

「なにも前の晩になる前にファックスを頼めばいいだろう」と友達に対しても一言いいたくなる。本当に試験前夜から試験中の通信費は毎回、莫大なものになる。しかし私たちの時代にもその前の時代にはなかったコピーという利器ができて、コピー代に費やした費用はかなりのものだった。時代がかわってもより新しい、便利なものに向かっていく学生の姿というのはかわらないのかもしれない。

ここのところ土曜日の出勤が続いているので、日曜日は貴重な休日だ。土曜日の夜は疲れて寝てしまうが、日曜日の朝の6時からのハングルはなるべく見るようにしている。ただしまだ半分眠っているような状態だが。そしてその貴重な日曜日にまた次男が来た。

「ここわからないんだけど」

手には英語の教科書を持っている。そこで何を感激するかというと、ああ英語の教科書はあるんだ。ということだ。なんせ古文なんかはどうせわからないということで教科書を捨ててしまっている。物理も教科書がどこにいったのかわからなくて、塾の先生に教科書をもってきてといわれたときになくしましたと平気で言ってしまったらしい。英語を聞きにくることも滅多にない。なぜならば勉強をしないからだ。しかしそれが今回に限ってききにきた。親としても感激するじゃないですか。そこで聞いた。

「単語帳は?」

すると

「何それ?」

といわれてしまった。

「ノートはあるだろ」

そういわれてあわててノートを探している。

 「ああ、ノートがあるわ」

ノートがあるかどうかも試験前日にわからないのか。

 「でも時々寝てるから、ぬけていると思うよ」

何をきいても、満足する答えを期待してはいけない。こっちもせっかくの休日を返上して、3ページほど訳してやった。こんなことをしているから息子がだめになってしまうんだと思うけど、明日の試験も赤点では困る。しかしだ。また考えるが、どうやってこの英語を勉強するつもりだったのだろうか。そしてされに英語をやりながら、保健が赤点だったらどうしようといっている。私も最後は黙ってしまった。とにかくはやく試験が終わってほしいというのは息子のせりふではなくて私のせりふである。

サッカーのオリンピック予選が放送されている。高校生の平山君のおかあさんってうらやましいと思っているのは私だけではないだろう。1月までは高校生の大会にでていたのにもう日本の代表選手だ。しかも筑波大学の進学が決まっている。私も一度でいいからそういう母を演じてみたい。



今週のomi家

2004年3月1日

このように書きはじめても先週の失敗を繰り返すのではないかと心配だ。この調子ではいつになったらハングルの入力ができるようになったり、ホームページが作れるようになったりするのかと思う。

今週のomi家を書き始めてから、半年がすぎようとしている。本当に毎週くだらない事件ばかりあって、自分でも大丈夫かなと思ってしまうときもあった。しかしネタにはことかかないですんだのは事実だ。それもお馬鹿な息子達のおかげかもしれないと、彼らに感謝している。

この2人はここ1年ほどものすごくお互いを意識しており、あまり口を聞かない。小さいときはどんな理不尽なことでも次男が長男のいうことを聞いていた。しかしここ2.3年次男が大きくなり、長男の背を追い越した。そのとたん、彼は長男の言うことをまったく聞かなくなったのだ。長男はどうしてそのようなことになるのかまったくわからず、とにかく「あいつはなまいきだ」という気持ちが強くなった。次男は「なんであいつの言うことを聞かなきゃいけないんだ」という気持ちでいっぱいだ。これじゃどうしてもうまくいくはずはない。男の子というのは闘争精神が強いのかもしれない。力の強い者、体の大きい者に対しての気持ちは女の子にはないような、めらめらしたものが潜んでいるのではないかと思う。友達にきいたら、彼女のところも1年間まったく兄弟が口を聞かなかったときがあったということだ。これがいつまで続くのか、母親としては、まったくもって厄介なこと以外のなにものでもない。

次男はもうすぐ学年末試験だ。この週末はとことん勉強しなければならないのに、相変わらずよく寝る。以前、「試験の時ぐらい、夜遅くまで勉強するものだ」と言ったら、「そんなことしたら試験中に寝てしまうよ。それでもいいわけ」と脅かされた。しかしだ。なにも普段より長く寝ることはないだろうといいたい。よく寝ることに関しては長男も同じだ。私が仕事に行くときに寝ていて、昼休みに帰ってきてもまだ寝ていて、仕事から帰ってきてからもまだ寝ていることがある。なんでこんなによく寝られるのか不思議だ。本人たちは寝すぎて疲れたとか言ってくれるが、一度でもいいからそういう状態にいたりたいものである。

 仕事は一ヶ月が過ぎた。シルジャンニンのことはすでに書いたが、もうひとり私達の先輩にあたる人が一緒にいる。彼女はまだ30代と若いのだが、なんともこのように激しい人に初めて会ったので、彼女のことを書く適当な表現がいまだにみつからない。まあ彼女のために今まで何人もの人がやめたといううわさが耳にはいるぐらいすごい人である。まず、世間話をめったにしない。昨日などは「今日は寒いわね」と言われただけで、「えっ」と驚いたぐらいだ。そのような単純な文すらも彼女の口からでることはめったにない。だからといって常に黙っているわけではない。彼女の得意なせりふは

「こないだ言ったじゃない」「こんなことしてちゃ駄目じゃない」「ちょっとここみて」といったようなものである。これを語気を荒げて、ソプラノにすれば、彼女の声となる。返事も1秒間でも考えてみようものなら大変だ。即答でわかってもわからなくても「すみません」か「わかりました」かのどちらかの言葉を発しなければならない。ただ仕事はできるので、シルジャンニンも彼女を大切にしている。しかし彼女の方は上司に対しても同じような感じで接してくるのだからすごい。しかも彼女の機嫌が悪いときは上司に対しても返事をしない。人間ここまでにいたるには相当なにかあったのかもしれないけど、それはまだなぞだ。わかり次第またここに書くことにする。

仕事をしていて、ものすごくうれしかったのは時々ホテルのパンが手にはいることだ。しかも超破格値で。それが不定期なのがちょっと残念だが、おいしいパンを食べると働いていてよかったなと思う単純な自分を再び見ることができた。なにか書いていてもなさけない。

マンションの同じ階の方が、私同様、韓国ドラマにすっぽりはまってしまっている。このごろは夜、開放廊下で、

「ねえ、ねえ。イビョンホンが日本に来たって、夕方のニュースでやっていたわよ」

という会話がなされる。先日などは彼女が

「電車にのっていたら、前の人が読んでいたスポーツ新聞に韓国のドラマのことが書いてあったので、買ったのよ。切り抜きまわすからね」

といった。もうびっくりだ。スポーツ新聞にまで手をだすとは私以上だわ。本もたくさんもっていて貸していただいた本に書いてあったCDの情報などをチェックさせていただいた。韓国ドラマのことを話せる人がそばにいるのは本当に楽しい。ありがたい隣人だ。

イビョンホンのことについて書けば、彼は私の中ではトムクルーズと同じぐらいの人だが、芸能ニュースではやはりそこまでにはならない。自分とその周りはかなりの韓国ブームになっているけど、世間のレベルではハリウッドの半分までもまだいっていないのかもしれない。それでも日本がアジアのほかの国のドラマにこれだけ力をいれることはなかった。やはり時代が少しづつ変化しているのだろう。

2月29日の日曜日にはイムンセのコンサートに行ってきた。これは別途、詳細に書くことにする。私がこの年でこのように芸能界に(しかも外国の)はまるとはまったく思わなかったが、いくつになっても人間、楽しいことってあるものだと周りのかたがたに感謝している。



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