今週のomi家
2004年1月25日
長男が超めずらしくいい発想をした。
「アメリカの大統領は全世界の人の投票できめればいい」
というのだ。そんな馬鹿なことを考えるのは息子ぐらいなものだろうけど、それってものすごくリーズナブルな考えだと思う。現在、グローバルスタンダードというものはなくそれはアメリカンスタンダードに代わっている。アメリカがこれだけ世界に幅をきかせて、それに従っていかなければ他国が生きていけないのなら、この投票制は民主的であると思う。しかし息子にとって問題は英語だろう。英語で投票するぐらいならオレは投票しないといいそうだ。
長男がまた言った。
「佐藤さんってオランダ語話せるのかな?」
「佐藤さんって誰よ。」
「イラクの佐藤さんだよ。」
隣の佐藤さんのようにイラクの佐藤さんって言わないでほしい。どうやら陸上自衛隊の先遣隊、佐藤隊長のことのようだ。オランダ軍に守られている時にオランダ語が必要なんじゃないかと心配しているらしい。それよりも自分の英語の試験のことを心配してよ。日本人全部が語学ができないわけじゃないんだから、人のオランダ語の心配までしなくてもいいの。
そして問題の英語の試験が明日あるようだ。突然、英語を教えてほしいと言いにきた。この突然というのは本当に突然でテレビでいいところをやっている時が実に多い。今回も『巨人は本当にいたか?』というタイトルの番組の時にやってきた。しかしこのように突然こられてもこちらも英語を普段使っていないのでかなり忘れている。辞書をひいたりして考えなければならない時もある。テレビが終わってから来てくれというと、それじゃ間に合わないという。ここに至るまで多大な時間があったのに何が間に合わないかわからない。しぶしぶ問題を読むと、ちゃんと読まなくていいから答えだけチェックしてくれという。本人が自分で解いたことがないからかもしれないけど、英語の問題は(英語に限らないかもしれないけど)問題を読まなければ解けないんです。
でもこのように問題を読むなと最初に教育したのは他でもない私だ。英検を受ける時、どうせわからないんだから、長文は読むな、長文を読む変わりに問題文と同じ文章を長文の中に見つけて、その近くの単語があるところに○をせよ、と命令したのだ。それで次男は準2級まで受かってしまった。この英語ができない長男でさえ、中学の時に3級はとっている。この方法は私だけでなく、友達も娘に使った。友達がいうにはこれで2級まで大丈夫だということだ。
話しはそれた。そして長男は私がチェックした問題を手にして、これで明日は大丈夫だと言った。何が大丈夫なのかわからないけど、それなりの勝算があるのだろう。こうなるともう競馬のようなものだ。楽しみにしていた巨人はおかげで半分しか見られなかった。
長男曰く。
『学校でがんばっているのは、事務の人と食堂だけだ。先生も生徒もやる気ないんだ。』
まあいいところをついているかもしれない。食堂はともかく、事務の方はこのような生徒を相手に就職の指導をしなければならいのだから、本当に同情する。エールをおくりたい。(息子の就職よろしく)
次男の興味はエレベータからインフルエンザに急速に移行している。4年で2クラス学級閉鎖になったというのだ。次男のクラスでもなんとか皆の協力のもと学級閉鎖にもっていきたいという気運が高まっているようだ。昨日は担任の先生の研究日で事前に先生は午前中は来ないという連絡がはいっていたらしい。Oが気合いをいれていったそうだ。
『午前中で何とか、かたをつけよう。』
そして0は授業中、保健室に行って気持ち悪いから早退することにしたそうだ。0が帰るやいなやTが保健室に行き、ものすごいスピードで教室に戻ってきて、早退しますと教室をでた。もうひとり協力者がいたらしいのだが、計3人とその日のはじめからの欠席者を合計して5名になり、みんなで学級閉鎖だと騒いだらしい。しかしこの日、午後になっても学級閉鎖にはならなかった。考えてみればこのクラスはものすごく元気だ。ひょっとして風邪をひいている生徒はいないのかもしれない。先生だってそのくらいのことをみぬけないわけはないだろう。
長男は馬鹿だ馬鹿だと思ってきたが、またおもしろい発想をしてくれた。
『今に日本人が中国にいって、農家で出稼ぎをする時代になると思うよ』
本人はこの意味の重要性をどこまで理解しているかわからない。しかしこれってまだここまでいわれていないけど、日本の食料自給率の低さがかなり問題になっている今、ありえることではないかと思う。やっぱ日本は米をもっと作って、国内で食料をまかなえるようにしていかなければ、基本的に強くなれないのではないだろうか。アメリカに抵抗してなんて口でいっても、食べるものがなくなってまで抵抗はできない。アメリカで狂牛病が見つかってからちょっと時間がたち、もう牛肉の輸入を再開していいだろとアメリカに詰め寄られているようだが、アメリカ人の友達のところでは特定の農場以外の牛肉は今はまったく買っていないそうだ。アメリカの言うなりの世界はいつか均衡を失うだろうな。
今週のomi家
2004年1月20日
世の中には男子校と女子校というものが存在するが、女子校の方が多少造りが細やかな感じがしていた。だけどそれに対しての明確な理由が今までわからなかった。
次男が言った。
『もうすぐ学校のエレベーター、壊れると思うよ』
なななんだ、それは。
『この前、定員オーバーのブザーがなっているのに、皆でのれるだけ押しながら乗っていたら、エレベーターがガクっと下がった。』
こんな馬鹿なことをしているのか。
『そんなエレベーターに乗ったら危険じゃないか』というと、
『大丈夫だよ。オレ押している方だったもん。』
と言ってくれた。しかし何かあったら、呼び出しだけじゃすまないだろ。
『この前なんか。エレベータが途中で止まっていて、中にいたやつらが騒いでいるのがわかった』さらに付け加える。
『あのエレベータもう自動じゃなくって、手動なんだよ。』
これじゃ学校の備品の損失、損害も相当なものだろう。よほど頑丈な造りにしなければとてももたない。ちなみにこの校舎は去年、完成したばかりだ。
『Sが黒板の下をけったら、壁がこわれて隣の教室のチョークがふってきた。たぶん地震がきたらこの校舎、もたないと思うよ』
この話しを聞いて校舎が地震が来るまでもってくれればいいなと思った。さらに話しは翌日にも続いた。
『もっとエレベーターの話し聞きたい?』
と問われた。聞きたいような聞きたく無いような。。。
『エレベーターが動いている時に手でドアをあけるとエレベーターは下の階に自動的に行って止まるんだよ。』
科学の実験をやっているのか。
『それから自動的に1階に戻るんだ。おもしろいから他のクラスの奴にも教えてやったよ。』
エレベーターの定期点検の回数を今の5倍ぐらいにしてほしい。
『学校って他のクラスや学年もそんなに悪いのか?』と思わず聞く。
『オレのクラスは馬鹿クラス。隣のクラスはストリート系なんだ。』
『何だ?そのストリート系というのは?』
『廊下でスケボーをやったり、ローラースケートをやったりしているんだよ、』
それも馬鹿なんだろうが。なんで学校の廊下をローラースケートで移動するんだ。先生の目が行き届くとか行き届かないとかいう問題ではないらしい。私も無理してまあ楽しくて何よりだと言っておいた。
長男はクロネコヤマトのバイトが結構気に入ったようだ。試験の最中なのにクロネコが恋しくてしかたない。
「また2月にも採ってくれるかなあ?」
それより試験の勉強してよ。
「オレってバイトでは役にたつ方だよ思うよ。なんていうのかなあ。知恵があるっていうのかなあ。」
バカバカしくて聞いてられない。
『今必要なのは知恵よりも学校の知識なんだよ』
本当に留年しないでよ。学校は4年で卒業するんだよと心から言いたい。
次男Tがまた言った。
『動いているエレベータのドアを手であけるとどうなると思う?』
そんな危険なことはしないでくれ。言うことはそれだけである。
『動いているエレベーターを手であけると、1階に行くんだよ。』
なる程、地震の時など、エレベータは自動的に1階に行くようになっているのだと改めてわかった。こんなことに感心してどうするんだ。そして彼は付け加えた。
『今楽しいのはエレベーターだけだ。』
楽しいことがあっていいんだと無理にでも思わなくっちゃ。
たまりにたまった写真の整理をはじめた。長男は中学校の時から次男は小学校の5年から。写真の量も多いので、パニックの限界を越えている。ここまでほっておいたのも、自分でもどうすればいいのかわからないようになってしまったからということもある。それが先日、蒲田のユザワヤにいったら、写真の整理をしましょう、みたいなコーナーがあって、いろいろなカットができるはさみや型抜きやフレーム作りの道具が売っていたのだ。これだっと思っておもわず1万円もだしていろいろな道具を買ってしまった。これまでも随分このようなものに凝ってはすてていった経緯があるが、思いこんでいる時はそれが再びおこるということは忘れてしまっている。
さっそく家に帰ってアルバムをつくりはじめた。最初の1ページはよかった。写真のフレームまでつくって「いいじゃない」というページができあがった。それから5,6ページもまだよかった。しかしその後はどこまでも続くこの作業との戦いがはじまった。次男の小学校5年の冬まで終わったと思ったら、夏の旅行の写真が大量にでてきた。とにかく主婦はまめな人がなる職業である。1万円分の材料を前に頭の痛い日々が続いている
今週のomi家
2004年1月15日
小正月も終わった。小正月になにかやるわけではないが、小正月が過ぎると、今年もどんどん進んでいっているなという感じがする。
11日の土曜日におばの家に招集がかかった。母のほうの親戚が集まるので私もどうぞということだったんだけど、お年寄りの集まりの中に呼ばれたようなものだ。(まあしょうがないか)唯一の救いはいとこの6ヶ月になる双児の赤ちゃんだった。双児というのはなぜあのようにかわいいのだろう。いとこのところは女の子と男の子で、女の子のほうがはるかにしっかりしている。お客さんをじっと見回すところなどとても0才児ではない。それに比べて男の子のほうはのんびりしている。きっと小学校にいったら女の子が男の子の怒られたことを親に報告するに違いない、などと考えながらお年寄りの会におつきあいした。
半年前ぐらいから虫歯があって、どうしても歯医者にいかなければならなかった。14日に清水の舞台から飛び下りるような気持ちで歯医者にいった。昔から歯がものすごく悪い。歯医者って本当に恐怖の館なのだ。今は痛みに加えてお金も心配だ。今回もどのくらい虫歯があって、どのくらいの費用がかかるかと思うと本当に憂鬱だった。しかしなんと虫歯の治療はその日1回で終わり、他の虫歯はなかった。これって本当に嬉しかった!!!今回は今まで通っていた歯医者ではなくって、家の近くの歯医者に行ってみた。まだ変えてよかったのかどうかはわからないが、セカンドオピニオンをもらえたことは確かだ。医者って2,3個所を回っていくといいのかもしれない。1個所だけだと治療の方法もかたよるし、もしもっといい方法があってもわからない。だけど2個所以上の所に行き、いろいろな医者の意見を聞けば自分で納得いく方法を選ぶことができる。そのような制度ができればいいのにと思う。
次男Tが言った。
『この頃、昼休みはひとりでゲームしている。』
『えっ友達と遊ばないの?』
『友達と遊んでもつまらないし』
これってちょっと心配だ。
『友達とはまったく話さないの?』
『いや、授業中には話すよ』
何を心配していいのかわからなくなった。
次ぎの日、帰ってからまた言ってくれた。
『今日は全部の時間に怒られた』
(お願いだからそういうことをあえて伝えないで)
『一時間目は後ろ向いて話していたら、先生が「T、大丈夫か」って言ってくれた』
言ってくれたんじゃなくって言われたんでしょうが。
『二時間目は最初にトイレに行って、戻ってきてぼっとしていたら、先生が「T、教科書どうした」って言ってくれた。「忘れました」っていって後ろの棚に誰かの教科書ないかなあと探しにいったら、「授業中にトイレにいって、ぼやっとしてさらに後ろに遊びにいっている奴がいる」って言ってくれた』
本当にお願いだからもう学校のことをいちいち言わないでと思った。
15日は美容院に行った。韓国に行く前に行ったきり、そのままぼさぼさだった。美容院は中学校時代の友達のところだ。級友の情報を聞いたりできるので、おもしろい。しかしその友達は私の頭を勝手にアレンジしてくれる。この日も
『少し長くしたいから、そろえるだけでいいよ』
と言ったにもかかわらず、おもいっきり切ってくれた。今、家で一番短いのは私かもしれない程だ。なんでこうなってしまうんだろう。彼女曰く、
『少し若くした方がいいよ』
私はあんたと同じ年だよ。
次男の進学問題を考えなければならない。卒業という問題もあるけど、とりあえず同時に進学も一応考えなければならないところが大変だ。自分で勉強すればもう少しなんとかなると思うのだが、今までの試験だってずっと実力テストのようになにもしないできた。どうするのだろうと日々が過ぎていたところに先週、新聞広告がはいった。南馬込で数学の個人指導をしてくれるというところだ。ひょっとしてこれかもと思いとびついた。そして16日に面接。まあ話し好きの先生であることは確かだ。4時半の約束でこちらが15分に到着した。それから延々6時45分まで面接させられた。息子も私もへとへとだ。面接の内容は授業の進め方が主だったのだが、よく話しがここまでひっぱれるなと感心してしまう。さすが東大だ。6時半を過ぎると私は何回も時計を見てしまった。「今日は東京テレビで7時から韓国映画をやるのよ。」そんなことを先生に言えるわけはない。とりあえず来週から数学だけみてもらうことにして、帰りはなんとタクシーを飛ばして帰ってきた。そして7時3分前に家にはいった。映画の題名は『スパイ*****』だったけどまるで私の行動の方がスパイなみの分刻みだ。
この面接の日は本当にいそがしかった。韓国映画の『二重スパイ』のビデオ貸し出しがはじまる日でまず10時開店と同時に池上のビデオやにはいり、ビデオを借りた。まだ誰も借りてない韓国映画がばしっとそろっているのに感動した。おもむろにその1本をとった時は幸せだった。そしてすぐに帰り、母と叔母と恵比須で食事をするので、すぐにまずは実家に行った。そして叔母と会うために恵比須へ。恵比須の友達のところのおそばやでそば懐石を食べて、ウェスティンホテルでお茶を飲んで、それから塾の面接だった。おかげで夜はビデオもテレビも見ず(韓国映画は録画した)寝てしまった。なんでこんなに忙しいのだろう?
今週のomi家
2004年1月4日
年があけて2004年になった。昨年最後の大ぼけはまた長男だった。31日に新聞を見て、
「ねえ、第九ってなによ?」
と聞いてきた。
「第九はベートーベンの第九交響曲。喜びの歌ってあるでしょ。必ず、年末に合唱するのよ」
「なんで?」
そこで返事につまった。何か理由はあったのだが、忘れてしまった。そこで
「31日の第九、と1日のウイーンフィルは決まっているの。」
とおした。そしたら言ってくれた
『31日の大工と1日のウインク?』
年があけて、次男が一大決心をした。「やっぱおばあちゃんちに行ってお小遣いもらってくるわ。」おばあちゃんは息子達にとっては大蔵省である代わりにうるさい存在でもある。「なんでそんな格好をしているの」とか「その髪は何」とか親があきらめていることをがんがん言ってくれる。だから息子にしてみればできるだけ会うのをさけたい。しかしおばあちゃんも言ってくれた。「とりに来ないのならお年玉はあげない。」考えてみればすごい関係だ。息子はちょっとの間がまんしていたが、ずぼんの裾上げも頼みたいし、お小遣いもほしいので、やはり行くことにしたらしい。
おばあちゃんの話し。
『まったくのらりくらりして、勉強はしているのって聞いたら、そこそこですって言ってたわよ。ずぼんをずり下げてはいているからひもをあげようかって言ったら、結構です、って言われたわ。』
次男の話し。
『まあなんとかクリアしたわ』
1月28日は次男の誕生日でちょうど学校の近くの目黒不動の初不動の日でもある。おばあちゃんは学校の帰りにちゃんと参って来いと言ったらしいが、そんなことをするくらいなら彼は学校に行かないだろうと思った。お小遣いもあげる方ももらう方も本当に大変だ。
お小遣いをもらう時、おじいちゃんが昔の500円札をくれたらしい。帰ってきてからそのお札を見ながら次男が言った。
『この岩倉グシって誰?』
はじめこの質問に反応できなかったが、具視とグシと読んでくれたらしいということがわかって、またがくっとした。それを聞いていた長男が
『岩倉具視ってなんとか団だろ』
とまたわけのわからないことを言ってくれた。怪傑ゾロじゃあるまいし『なんとか団』ってことはないだろう!そこで私は言った。
『なんとか団じゃなくって、なんとか使節団だろ』
しかし言ってからこのようなことを五十歩百歩というのだと思った。
台所の棚に割り箸を積み上げておいたら、落っこてきた。長男が『落石注意』って書いておいた方がいいよと言ってくれた。
長男は毎晩、アルバイトに行っている。朝帰ってきて、夜まで見事に寝る。昼間こんなに寝られたら気持ちがいいなと思う。本当に一度も目がさめないのか聞いたら、やはり覚めないそうだ。でも本人は言った。
『何がいいんだよ。起きている間はずっと仕事だよ』
それって仕事以外はずっと寝ているってことだろうが。
長男が言った。
『今日おつかい行く?』
『うん』
『じゃあコンビニによってきてプレイボーイ買ってきて!』
いったい親を何だと思っているんだ。なんで私が息子の為にプレイボーイを買わなくてはならないんだ。馬鹿か!!
次男が
『りんご食べたい』
と言うので、自分で皮をむかせた。手を切るだのできないだの大騒ぎだった。
『もし手を切ったら責任とってくれるのかよ。』
りんごの皮をむいて手を切ったらあんたが馬鹿なだけだよ。まったく。りんごの皮もむけないようじゃ結婚できないといって、やっと1個むかせた。何をやらせても大変だ。
主人の弟が子供達にお年玉をくれた。2人にお礼を書かせた。
『おじさんへ。おこずかいありがとうございました。うれしいです。T』
全部ひらがなだ。これじゃ小学生だろ。その下に長男が書いた。
『本当にありがとうございます。とても助かります。』
まあ弟も同じ血が流れているのだからその文面を見てまったくのぞみがないとあきらめる他ないだろう。
今年は喪中だったので年賀状がこないはずだった。しかし次男のところに集中してきた。
『喪中なのにだしてごめんな』
と書いてあるものもある。類は友を呼ぶ。そして年賀葉書の切手のさるの印刷にひげをつけてだしてくれる奴もいた。まあおもしろくてなによりだ。
お正月は韓国のドラマ、映画のビデオを借り捲った。しかしビデオやもCDショップも韓国コーナーを作って、ものすごい人気だ。『秋の童話』(韓国ドラマ)のビデオはなかなか借りられなくって7泊8日だったのが、3泊4日になった。こんなことって超めずらしいと思う。今年も韓国マイブームでいければいいなと思っている。