今週のomi

200394
 

香港の韓国人の友達からユ−ミンのコンサートがあるから来ないかと誘いをうけた。なんでも近畿日本ツーリストが日本からのツアーの独占販売をしているのだが、完売になりそうにもないので先々週に安いツアーをだしたらしいという情報だった。そこで近ツリにきいたのだが、連休中に5万円代のツアーがあるらしい。しかしよくよく調べてみるとホテルはまちから遠いし、ひとり部屋だとプラス料金がかかるのでちょっと高くなってしまう。おばさんのシビアーな目から見るとどうしてもこのツアーは御買い得ではない。もうちょっと検討してから結論をだすけど、多分これはパスだな。11月の次男の修学旅行中にもできれば旅行にでかけたいのだが、行きたいロンドンだったら5万円台。韓国だったら3万円台といった線であたっている。韓国を調べたら民宿が3000円ぐらいであるので、そこに泊まればなんとかなるかもしれないなあというところまでこぎついた。しかし今迷っているのは民宿でトイレのない部屋に泊まっていたらちょっと不便かもということだ。昔はどこに泊まっても平気だったし、そんなことを考えたこともなかった。でも年には勝てず、考えることばかり多くなってきているこの頃だ。バスルームのついたホテルでめちゃくちゃ安いツアーがないかなあと探している。
 

今、私の頭の中は韓国でいっぱいである。池上のつたやにいったら、秋の童話(韓国のドラマ)のビデオがでていた。字幕スーパーだったのですぐかりた。しかしそれを火曜日に6時間見続けたら、今日(木曜日)もまだ耳がおかしい。丈夫な耳もほしいものだ。韓国のドラマにはまっていても、韓国の映画ビデオを今まで借りることはなかった。しかし今回シュリを借りた。ものすごくよかった。先日テレビの討論会で「韓国の映画は日本を追いこした」といっていたが、これを見て成る程と思った。日本だっていい映画をいっぱい作って、ベネチアで賞をとったりしているのだがら、どっちが上ってことはないと思うが、日本で「踊る大捜査線」を作っている時に韓国ではシュリを作ったんだ。完全に路線が違うところに現代の日本のもろさを見たような感じがした。(ちなみに私は踊る大捜査線の大ファンです。完全な日本人だ)

 息子達は時々、食べ物の好みが変化する。このとんかつおいしい、といっていてもある日、このとんかつはいやだと平気でいってくれるのだ。そこで時々、食べられないものが食べられるようになっているかもチェックすることにしている。長男に

『おくら食べる?』

と聞いた。彼は

『それ誰?』

と答えてくれた。百歩譲っておくらが人の名前としてもいい。でもおまえはそいつを食べるのか。

 
 今日から長男は学校がはじまった。津田沼まで通う毎日である。西馬込から津田沼まで3ヶ月の定期代は32000円だ。少しは自分のバイト代からだせといったら、それだったら学校をやめると言われた。なんでこちらがまけるのかなさけない。息子には勝ち目の少ない私だが、対外的には結構、戦う。以前、この定期をめぐって馬込駅の駅員のけんかした。馬込の駅で息子が定期を買おうとしたら、明日の分は売らないと言われたそうなのだ。その前に友達がそこで同じように買っていたので、

「オレきれてしまったよ」

と息子は言った。そんなことできれるんじゃないと、私が電話すると、駅員がかなりいい加減な対応をしてくれた。そこでそんな対応じゃ納得いかないと言うと

「いいですよ。そんなに言うのなら売りますよ」

ときたもんだ。これが怒らずにはいられるか。

『言えば売る。言わないのなら売らないというのが都営交通の方針ですか』

駅員もはやくあやまっちゃえばいいのに、むきになってくるからこういうことになるんだ。怒り心頭で電話をきると、長男は

「オレ、そんなにきれなかったよ」

といった。じゃああんたはきれてはいなかったんじゃない!そして昨日、定期を買いに行く時、

「いやな駅員だったらいやだなあ」

という長男に

『今度なにかあったら石原慎太郎にいってやる』

と私はいいきった。そしたら長男は、

「ノブテルの方はどうする?国土交通大臣だけど」

国土交通省はあんたの定期の為の部署ではありません。

 この原稿をなにげなくおいておいたら、暇な長男が見つけて読んでいた。

『ここまでネタにされちゃかなわないな』

といっていたが、それ以上の追求はなかった。自分がおかしいのを少しはわかっているのかもしれない。

 今朝(金曜日)、北海道で大きな地震があった。テレビを見ていると、元(?)東大名誉教授とかいう人がでていて、この地震は教科書通りです、と嬉しそうだった。朝6時台というと、このようなお年寄りしか、ぱっとテレビ局にこられないのだろう。永年の研究の成果があって、この付近では何年に震度いくつの地震があって、地震の定番の所なんですと、すぐによどみなくでてくる。そしてこの地震が意外な所でおこったのではないということにいたく満足げだった。しかしこんなに自分の考えとぴったりということに喜ばなくてもいいんじゃない、と言いたかった。6時を過ぎてから下北半島にいる主人の母に電話したが、その直後にまた大きな地震があったようで、どうも電話のタイミングがうまくいかない。(いつものことなんですが)7時をすぎてから、毎日聞いているラジオ韓国語講座をつけたら、英語でニュースをしていた。あれ、FENかなと思ってちょっと聞いていたらNHKという言葉が聞こえた。ラジオ講座は今日は中止だ。

朝からどたばたと過ごしているのに、次男は起きてすぐ何も知らずに学校に行った。先週の土曜日の地震の時は、予知があったので、次男の学校でもこれは話題になったらしい。友達の家ではたんすをしばったらしいという、おもしろい話しを持ってきてくれた。女の子はこんなことは人に言えないなということでも男の子は何も感じないでどんどん話すので情報もキャッチしやすい。私も先週はこの予知をうけて、玄関に頭痛薬を置いておいた。本当は非常用持ち出し金というのをおいておくらしいが、そんなお金があったら苦労しないよ。しかし今週になってなぜ頭痛薬が玄関にあるのだろうと思ってしまった。なんでもすぐに忘れていいような悪いような。。。

 我が家の前でマンション建設工事がおこなわれている。かなりうるさい。日中、家にいないので私はそれ程感じていないが、毎日家にいる方は本当にたいへんだと思う。そして先週、匿名の投書?同意願います、という用紙がポストに投函されていた。内容は祝日も夜も工事をおこなうことに対してみんなで文句を言いましょうというものだった。その文面を読んでいって、私はうん、と思った。

『朝はやくからラジオ体操の音まで流して、、、』

というくだり、現場の人は確かに朝8時からラジオ体操を音楽に合わせてしている。しかしそれをうるさいと思っている人がいたんだ。まずいよ。私はただでラジオ体操ができると思って、一緒に体操してたんだから。一緒に体操していたとはとても他の人にはいえないな



今週のomi



2003
9月3週


 先週の水曜日だったと思いますが、火星が月のちょうど真下に位置しました。火星、火星と騒いでも、この広い空のどの星が火星がわからなかったのが、この日をさかいに容易に見分けることができるようになりました。月の真下にきてもこの星は月の明かりに惑わされることなく立派に輝いていました。そして現在も南の空の一番明るい星が火星なのであります。毎日、夜の洗濯ものを干す時は火星をみつけて密かに

『おーい待ってろよ。もうすぐ人類が行くからなあ〜〜』

とアイコンタクトを送っているのであります。我が家ではほとんど家族の共通認識というものはないのですが、たったひとつ

『人類は月には行っていない』

という点では意見が一致してます。いわゆるアポロやらせ事件なのでありますが、このような番組はいっさい見ない次男までもこれ関しては、チャンネル権を譲りました。(去年までは次男は自分のテレビを持っていなかったーこれに関してのコメントは後日、時間があったらまた書くことにします)長男は何年も前から

「どうして月には継続してロケットを打ち上げていないのか」

ということを言っていたのですが、なんせ彼の意見ですので我が家では軽視されていました。しかし最近、アポロやらせ事件が放映されるようになってから彼は鼻高々で

「だから今まで何度もオレが言っていたじゃん」

とくり返しています。そしてそのテレビを見た次男は

「アポロは月に行っているわけないじゃん。空気もないのに旗がぴらぴらはためいっちゃってるんだから」

とへらへらいいだしました。この手の報道は何でも信じてしまう私は

『そうだ。人類はNASAに、いやアメリカに翻弄されている。』

と喚き出したのであります。しかしそれでも近い将来、やはり人類は月にも火星にも行くであろうと前向きの姿勢をとっているのは私だけなのであります。息子達はそんなことはどうでもいいらしい。ついでに私はピラミッドとか沖縄の海底遺跡とか大好きです。長男がまだ小学生のころイースター島の写真を持ってきて

『お母さんが好きそうだからあげる』

と言ってくれました。しかし今はそんな気づかいもいっさいなく、私はひとりでひたすらこの種のテレビを見まくってます。

 先週末、次男の学校のテニス部の母達の会合がありました。部活の内容があまりにもおそまつなので、せめて母達だけでも横の連絡をとろうという主旨だったのです。とりあえず会合があるということを先生にお知らせしましたら、先生はいらしてくださって、まあいろいろな話しを聞かされました。この先生はテニス部の顧問なのですが、息子の学年の学年主任でもあります。先生曰く、

『先日ネックレス、イヤリング、指輪の3点セットをつけている子がいたので全部没収したら、何日かたって返してほしいと職員室にやってきました。その時また違う指輪をしていたのでまた没収しました。修学旅行が大変そうです。』

次男の学校は11月に関西に修学旅行に行きます。全体がだら〜〜としている学年らしく先生も結構本気で心配そうでした。

この先生の姿を見て私はとても不安になりましたね。私は3種類の修学旅行を経験してます。1つはもちろん自分の修学旅行。2つめは勤めていた時の修学旅行引率。そして修学旅行をする息子達の保護者という3つです。この2つめと3つめは甲乙つけがたい程、どきどきものなのですが、自分の高校の修学旅行は決して忘れない程、おもしろくて、センセーショナルですばらしい(先生にとっては堪え難い)もので30年たった今でも鮮明に覚えています。

高校の修学旅行は2年の時、九州に行きました。場所なんかどうでもいいんですが、当時は九州まで新幹線がたぶん走っていなかったので、(もう忘れてしまった)大阪まで新幹線、その後は寝台の夜行列車でした。この寝台夜行列車というのはものすごいくせものです。そのくせものが修学旅行の前後にあったわけで、私達はどれ程そのなかで思いでを作ることができたでしょう。まあ行きはそれ程ひどくはありませんでした。友達がトイレでたばこを吸ったぐらいでしたから。しかしこの修学旅行は我が母校の歴史に残るようなすごい修学旅行でしたので、一日、一日と日が増すにつれて危険の度合いが高まってきました。そして3日目ぐらいにとうとうそれが爆発しました。

まず私達の部屋のなかのひとりの子のボーイフレンドがベランダから真夜中にその子を訪問しにきたのです。今から思えばそれがすごくかわいいのはおしいれで2人が話していただけだったということです。ところがその男の子の部屋から男の子が消えてしまったことが先生に見つかってしまいました。私達は忘れもしない2階だったのですが、その男の子の部屋の3階は真夜中に全員起床になりました。その騒ぎをかぎつけた私達はその男の子をどのように逃がすかに専念しました。まずひとりの子が歯が痛いといって先生のところに偵察にいきました。なんと30年たった今でも部屋の割り振りまで覚えているのですが、我がクラスの悪い女の子の部屋は私達のところでその隣が担任の部屋、そして担任の部屋をはさんでクラスで問題がある子が集まっている男の子の部屋になっていました。そして偵察してきた子が「今なら先生がいない」ということをキャッチして、この侵入してきた男の子をクラスの男の子の部屋に送りこんだのです。はっきりいって迷惑なのははいってこられた男部屋の子達なのですが、我が校は紳士が多くて、あまり女の子には文句を言いませんでした。(というか女の子がめちゃくちゃ強かった)そして巻き添えをくらった男の子達の部屋からはたばこが大量に発見されたのです。しかしこの時、停学になったのはその部屋のひとりの子だけでした。その子は10箱ぐらいあったたばこが全部自分のものだといいはりました。これで本来は退学になるはずの子(もう何回も停学になっている子が何人かいた)が全員救われたのです。しかしその子は所持品検査を余儀なくされ、なんと避妊具が見つかってしまいました。本当にやばかった。なんで修学旅行にそんなものをもってくるんだろうと今でも思うのですが、その時はそれどころではなかったのです。この子(といっても今ではおじさん)は今でもクラスの英雄です。(彼は今は障害者を教える教師となっています。クラス会のたびにその話しがでて本人はおだやかに笑っているのを見ると、昔そんなことが本当にあったのかなと思ってしまいます。)

さらにその修学旅行では他のクラスでもめちゃくちゃなことばかりおこって、学校に帰ったらどれだけの停学がでるか、はかりしれなくなりました。そして旅行の帰りの道中、私達は寝台車で酒盛りをしました。これもひとりの女の子が男の子にウィスキーを買ってこさせたのです。先生も疲れきっていてこの酒盛りに気付かなかったかもう見過ごしたのか、そのあたりは定かではないのですがとにかくこの酒盛りはおとがめがありませんでした。そして酒を暢達した子がウィスキーの空き瓶をどうしようと考えた末、なんと走っている列車から外にその瓶を投げ捨てたのです。線路でわれた瓶のものすごい音は今でも覚えています。そうなんです。私は自分がこんなに悪いことをしたから修学旅行の引率も息子の修学旅行もおびえなければならないのです。そして今、息子が無事、呼び出しもなく修学旅行から帰ってくるのを祈るばかりです。

 
長男が中学生だった時の話し。

 長男は配偶者とは何かを聞きに来た。私は配偶者とは結婚の相手のことを指すと教え、さらに質問した。

『お母さんはお父さんの配偶者です。ではお父さんはお母さんの何になるでしょう?』

このように念には念をいれて教えなければ絶対にわかってくれないことを私は経験上知っている。そして息子は答えた。

『犠牲者だよ』???

 
 その犠牲者が連休に帰ってきた。食卓にあった次男の合宿の写真を見ていった。

『これ何の写真?』

はっきりいって主人はこの夏休み中に次男が合宿にいったことをしらなかった。しかしこんなことは序の口だ。主人は子供達の受験した学校なんかも全部は知らない。次男の中学受験の日には

『試験は何日あるんだ?』

といったもんだ。大学受験じゃあるまいし、そんな何日も続くわけないじゃない!

『今日で終わりだし今日の夕方は発表です』

と言ったら

『ほう』

と一言発した。そんな感じであるからその写真に興味をもったこと自体がものすごいことだったのだ。次男は

『テニス部の合宿だよ』

と答えた。

『え、テニス部はこんなにたくさんいるのか。(80名ぐらい合宿に参加していた)学校全体がテニス部なのか』

といってくれた。息子の馬鹿は主人譲りなのに違いない。本当に疲れる。


今週のomi

20039月2週

 今週といってもまだ木曜日です。なぜ今日これを書いているかと申せば、今度の土曜日から連休になり我が家はあの主人がひょっとすると帰ってくるかもしれないからです。主人が帰ってくるとこのパソコンの前でよく寝そべるのです。私はそうしたことを深く考えて、今日これをうとうと思ったわけです。

 次男は高校の1年だが、中学3年ぐらいからかなり成績が落ちてきている。勉強しないのであるからしかたないのだが、中学校の時は高校にいったら勉強すると言っていた。高校にはいってからは2学期にはいったら勉強するといってくれた。そして1学期の末の個人面談の時、自分の口から2学期になったら前の方の席に座りますと担任の先生の前で言わせた。その時担任の先生は

『一番前か』

と聞いた。そしたら

『いえ、それはちょと。。。前から2番目にします』

と言ったのだ。しかし2学期になって前から2番目の席になり、言った彼の言葉は

『どこに座っても眠たいものは眠たいや』

という一言だった。まあこの個人面談も当初からあまり効果はないとは思ってはいた。先生に

『一学期はどうだった?特に生活面。』

と問われ

『よかったと思います。』

と答えた度胸のよさはすごいのだけど、さすがに先生も

『よかったとは言えないんじゃないか。』

と返して来た。すると

『いや、反省文も書かなかったし。』

と息子が言った。それじゃ基準が一般の生徒と違うだろう。私はこのあたりで倒れそうだったが、とにかくだまっていた。『沈黙は金』である。すると先生は勉強のことに話し変えた。

『得意な科目は何だ』

するとすぐに

『物理です』

と答えたあたりも、ものすごく度胸がいい。要するに物理は平均点を少々うわまわっているわけである。先生はここから話題を一般的なことに変えた。そしてめでたく息子は何ごともなく面談を終えたのである。結局、面談は息子のペースだったと言えよう。しかも面談が終わってから何を言うかと思ったら

『あの腕見た?』

という考えられないコメントだった。担任の先生は剣道部の顧問でもちろん体育の先生である。剣道の腕前もなかなかのものであるらしい。

『あんな腕でひっぱたかれたらたまったもんじゃないや』

あんたはそんなことを考えながら面談していたのかっとおもわずため息がでてしまった。そして予想どおり1学期と同じ2学期をすごしているわけである。そして昨日、今日はもうどうしても眠たい。という次男。私はちょっとがんばって9時ぐらいに寝ればいいじゃないといったのだが、息子は一大決心をしたようにいった。がんばって今から寝る。そして7時から翌朝の7時まで見事に寝た。

 今週、一番驚いた長男の一言。

『巨峰は皮むいてだして』

保育園だってそのままおやつにでてくるよ。

 長男のアルバイトは夏が終わり、深夜しか空きがなく、週に2、3回夜でかけていっている。帰りは真夜中から明け方になる為、帰りの交通機関がないので、五反田まで自転車で出かけていっている。一昨日帰ってきたら、帰りに西馬込の交番で止められたと言った。何ごとかと思ったら、まず信号を無視して怒られ、

『すみません。ぼっとしてました』

といったら盗難車の照会をされたらしい。まあ、あんな時間に鳥の髪みたいな子がふらふら自転車に乗っているのだから職務質問もおかしくはない。しかし素晴らしいのは本人もそんなものかと思っていることである。さらに彼が警官に止められたのがこれがはじめてではないのがすばらしさに迫力を増す。1回目は中学の時に塾の帰りに無灯火で自転車を走らせていて久が原で注意された。その時は警官が2人だったらしく、家に帰ってきてから状況を説明するに

『あの人達2人で同じことをしゃべるんだ。あれは双児か演劇部だな』

と反省なしの一言であった。もちろん警官に注意されても落ち込まない。落ち込むのは常に親だけである。そして今回も

『調べている時にすぐに終わりますからってなかなか丁寧だったよ』

と平然としていた。

 今日は9月11日。2年前、いとこがニューヨークでテロに巻き込まれた日である。世界貿易センターの隣のビルで働いていたいとこはあの事件の日も普段どおり、会社にいっていた。最初の飛行機がビルに突入した時は何も知らなかったらしいが、事務所に緊急の避難指示がはいり、外に出てみるとひとつのビルが燃えていた。そのまま歩いて15分程の自宅へ帰り、テレビをみていると、2機目がつっこみ、自宅が大きく揺れた。その時これはただごとではないと感じ、とりあえず外にでてそのまま逃げた。その時はこれがどんな事件で何が起こっているのかもわからず、すぐに家に戻れると思ってなにひとつ持たずにマンハッタン島の北の方に逃げたのだが、結局そのまま何日も家に帰ることはできなかった。逃げる途中に偶然会った友達の家に避難し、そこで一晩を過ごしたが、ロスにいたいとこの主人とも連絡がとれず、東京の母親(私にとっては叔母)に連絡することもできなかった。東京とロスでは一晩いとこの生死は不明となった。叔母は外務省に電話をしたが、一個人の生死など取り合ってくれるはずもなく、次の日の朝、主人(時々登場する私の夫)の知り合いから得たメリルリンチ(いとこが勤めている会社)は全員無事という情報がただ唯一の救いだった。

この情報をくれたHさんという人は頭はものすごくいいらしいけど、どっか抜けていて、『私のいとこがメリルにいる』ということが彼の頭の中ではテロを抜いてメーントピックスになってしまったらしい。

いとこはこの騒乱の中でいろいろなものをいっぱい見たらしい。でも東京で会った時も全部は話してくれなかった。きっとはなせるようなことではなかったのだろう。今、彼女はニューヨークに住みはじめて3年になる。まだ当分ニューヨークにいるようである。あれだけの大事件の後でもニューヨークは魅力のある街だからだろう。

  

今週のomi

200391


 やっと新学期がはじまりました。去年まではこの9月1日がとても楽しみだったのですが、今年は長男がまだ家にいます。いつから学校がはじまるのか知らないらしい。あと2週間ぐらいは休みだと思うと本人は言うのですが、本当か学校に電話したいくらいです。長男は前回書いたようにアルバイトをしていますが、今週は2回、深夜アルバイトをいれてました。本当は3回だったのですが、1回目は時間の変更があり、会社にいったらもう車がでてしまった後だっということでした。息子もいいかげんだけど会社もいいかげんだわとへんに感心してしまいました。

その次ぎの日は仕事は11時頃でおわり、12時頃、終電で家に帰ってきたらしいのですが、私は朝起きてみて息子がいたのに気付きました。

そのまた次ぎの日は仕事が2時ごろ終わったので、五反田から歩いて帰って来たらしい。本人がそれでいいのだからいいんでしょうけど、なにかやっぱり馬鹿なのかなあと心配は心配です。そして今週のはじめ、

『金曜日に友達がとまりにくるかもしれない』

と突然言われました。我が家は日本建国以来のきたない家とでも言えるぐらいめちゃくちゃな家なのに友達が来るだって!!!それからというもの特にお風呂場、玄関など保育園から帰って疲れた体にムチをうちそうじをしました。そして昨日は布団もほしてまあこれであとはがまんしてもらいましょうという状態にしておいたのですが、なんと友達は来なかった。会社も友達も息子もなんていいかげんなんだと叫びたかったです。でもまあ大変になるよりはよかったのかもしれない。

 次男は今テニス部に所属してます。そして悪い子から部長になるというテニス部の伝統により息子は高校1年のキャプテンをしているのです。その関係から夏休みの合宿の写真の焼き増しが我が家にどんときました。しかもどの写真もうつっているのは中学生ばかり。どうも問題の多い高校1年は写真にできなかったのではないかという推測ができました。息子とよく遊ぶ子の写真をちらっとみたら、それは小さい写真なのにはっきりと茶髪でした。この子のおにいちゃんは医学部に今年入学しているのに。おかあさんもお兄ちゃんに力がはいっていたんだなあとよくわかるパターンでありました。写真ははっきりいってどの写真ももうちょっとちゃんととれないのといいたいものでした。

 前に話したかもしれませんが、今、韓国ドラマにはまってます。これは前に書いた韓国人の友達が

『日本でもオータムインマイハートをやるから絶対に見なさい』

という指令を流してきたのがはじまりなのですが、NHKBSでやっていた冬のソナタが今週、最終回でした。この冬のソナタもおもしろかったので、毎回ビデオを撮っていました。ところが今週にはいって我が家のテレビがBSを時々受け付けなくなってしまったのです。見えたり見えなかったり、特に冬のソナタ放映日の木曜日は朝から見えなくなってしまって大パニックでした。一番最初にBSが見えなくなった時は衛星のシステム障害かと思ってNHKをつけて情報を求めたりホームページで確認したりしたのですが、そのような情報がはいっていないので、本当に本当にこれは北朝鮮の妨害かと思ったのです。でも映らなくなるのは我が家だけのようだということがわかり、とにかくビデオを確保しなければと、この日、保育園から帰ってから近くの友達に電話しまくりました。

2軒目に電話をかけた友達は御主人が大手電気メーカーにお勤めなのですが、家にBSははいっていないと言ってくれました。しかも御主人が新しいディスクを開発して統括部長に昇進したということを聞き、

『新しいディスクを開発してもBSをいれないとは庶民の敵である、と会社にメールしちゃうぞ』

と脅迫しました。しかもビデオのことはさておき話しがすすみ、

『統括部長になったらお給料あがった?』

と聞きました。

『あがったよ。本当に嬉しかったよ』

と愛のない会話がまたまた登場しました。

『やっぱ金だよね』

『そうさ。金さえあればいいよ。』

と私の回りではなにか意見が一致するのが恐ろしい。彼女の情報によると今週は十中の3年の理科の先生が夜、学校の屋上で火星を見せてくれるという授業をしていたらしいのです。思わず、

『私も行こうかなあ』

と言ったら

『あんた、また行くの!振り向けばomiっていわれるよ』

と忠告されました。この「また」というのは前回の3月の卒業公演に千住真里子がくるというので私もまぎれこんでききにいったことを指しています。

『お宅の息子の産みの母は私ですっていえばいいでしょ』

『そうだね。でもうちの息子は行かないっていっているよ』

『まったくBSはつかないし、息子は火星を見にいかないししょうがないね。』

といいたい放題の電話でありました。

結局、ビデオは4軒目にかけた友達がとってくれて、また我が家でも夜になってBSが見られるようになったのでめでたしめでたしでした。

9月にはいって定期券代はいるし、上の息子の後期の授業料の請求はどんとくるし、私は大学にいいたい。

『うちの息子は半分しか勉強してませんから、授業料も半分にしてください。』

とね。



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