omi、江戸東京たてもの園に行く
2007年11月18日

昨年からのMとKとの懸案事項であった小金井公園にある江戸東京たてもの園に行った。
江戸東京たてもの園という固有名詞を覚えるだけでも最近は大変なんだ。
ブログにはすでに江戸東京たてもの博物館とか違うことを書いているし。。。。


11月15日、10時半に武蔵小金井の駅で3人で待ち合わせる。
待ち合わせるということが、このごろでは大事業になっているomi。
日時、場所を間違えなかったら絶対に会えるのに、それがちゃんとできるか不安なんだ。
今回は前日に時間の確認をしたら、北口改札というのが頭から抜けていたことが判明。。
3人で会えるまでは気が抜けない!!

当日は快晴。しかも暖かかった。
3人の日ごろの行いがどれだけいいか
を物語る天気だ。
10時半ぴったりに3人がそろって武蔵小金井駅からバスに乗る。
バスの中で知ったのだが、Kは高校時代はこのあたりがお庭だった。
小金井公園にもよく遊びにきていたらしい。
若き日の思い出なんだわ。
この若き日というか、幼き頃の思い出がこの日のメインテーマになっていく。

小金井公園は駅からバスで3つ目か4つ目だ。
このバスの中で判明したこと。
誰も道案内になるものを持ってない。
で、ぱっと見ると若い女の子が2人、江戸東京たてもの園のパンフレットを見ているじゃない。
3人の頭はすぐに
『この子たちについていこう!!!』
とスイッチした。

何も知らないお姉さん達。
すでにおばさん達が背後霊のようにのしかかっている。
広大な小金井公園が見えてきて、もうすぐ降りるという時にKがあわててボタンを押した。
頭がお姉さん達についていくという設定になっているために、ボタンを押すのもお姉さん達と勝手に思い込んでいる3人。
『お姉さん達はどうしてボタンを押さなかったんだろう。。。』
と、人のことだけは考えることができるomi.

バスを降りて右往左往する3人。
お姉さん達を見るとすぐに信号を見つけて、そちらの方に歩いていく。
『とにかくついていこう!!』
バスのボタンのことはすぐに忘れてまたついていくことだけが頭の中を占領する。

小金井公園は都立の公園で、入場料はなし。
大きな木がたくさん生い茂り、道の両側は落ち葉が敷き詰められている。
写真を撮るomi.
Kが言った。
『お姉さん達を見失うといけなくなる!!』
写真を撮っては走り、写真を撮ってははしり。
こういうのっていつものパターンだなあ。



お姉さん達は道なりにたてもの園の方に向かっていたが、いざ入り口が見えると芝生の上をショートカットする3人。
長年の知恵でこういう要領のよさだけは持ち合わせている。

芝生では幼稚園児が遊んでいて、香港を思い出した。
MもKも子供達は香港の幼稚園に行っていた。
口々に
『香港みたいだ!!』
と言う。
懐かしかったなあ。
こんなことだけで感動するんですもん。
思い出というのは大切よ!

たてもの園はこの公園の一角に作られている。
ずっと昔、小学校の頃、友達とここに来たことがあるような気がしてならなかった。
で、そうでした!!
ここは以前は武蔵野郷土館があったところなんだ。
やはり庭があって原始時代の洞穴とか弥生時代の建物とかが展示されていた。
今のことはあんまり覚えていないけど、40年前のことは記憶に残っているという典型的な老人型の頭になっていることを再び確認。

入場料400円を払って中にはいる。
ここは江戸時代から昭和初期の建物が集められており、敷地はかなり広い。
まず案内のおじさんにどうやってまわるのかを聞く。
『はやくて1,2時間、ゆっくり見ると3時間かかります。』
3時間かあ。
ゆっくり見て楽しもう!!
と一同は思う。

とりあえず一番はじめに目についた家からせめていく。
ここは田園調布にあったという大川邸。
大正14年の建築だ。
ということはomiの母もまだ生まれてない。
そういう時代にこういうモダンな家が作られていたんだ。



ここからが思い出話全開になる!!


このミシン。
昔はこういうミシンだったわ!
Mは韓国出身で、今回また楽しめたのは韓国ではこうだったって話が聞けたこと。
やはりMが小さい時はこのタイプのミシンが家にあったそうだ。

この田園調布の家は全室洋室で、ガラス窓が多い。
この時代にこれだけのガラスを使うというのはかなり贅沢だったんだと思う。
キッチンも今のシステムキッチンの前身のような感じで、オーブンまである。
浴室も西洋風のタイルばりのお風呂だった。
ここは3人の一番人気となった家。

この日は訪問客があまり多くなく、勝手なことを話している3人。
『今でもここに住めるんじゃない?』
『身の回りのものを持ってきて住んでしまおうか!!』
『ちょうど3軒、家が並んでいるから、好きな家に住もう』
『私は田園調布の家にします。』
と断言したのはMでした。


そのお隣が前川國男邸。
昭和17年の建築だ。
えっ?
戦争中じゃないのか?
なのにこんな家建ててしまったんだ!!!
場所は品川区上大崎。
このあたりって空襲はなかったのか。。。。


こんなにどっぷり西洋風の家を戦争中に建てて、堂々としていた建築家ってすごいと思う。
クローゼットの中も仕切りがついていて、これだけを見ると本当に物がない時代だったのか?って思う。

この家を見てomiは言いましたね。
『やっぱオットは建築家がいいわ!!!』



前川邸の前にあったからたち。
『これはなんの木だ?』
こういう時にKが答えられないと前には進まない。
今回は木にからたちの札がかかっていたので、
『これがからたちか!!』
と感動することができた。
歌だけは知っているんだけどね。

韓国ではこの木のとげとげを利用してよく垣根のかわりにこの木を使うそうだ。
実がなっているけど、これはすっぱくて食べられないとMが解説してくれた。

そのお隣の小出邸も建築家なんだ!
(やっぱ、建築家のオットがいいんだわ)
こちらも大正14年の建築だ。


ここではお風呂で盛り上がった。
omiも小さい時はこのような木のお風呂だった。
で、同年代のKの家もこのタイプのお風呂だったらしい。
で、さらにKのお宅ではまきでお風呂をたいていたそうだ。
その詳細をMに説明するK。
ここに上がり湯をいれて、ここで体を洗ってと、聞いていたomiが懐かしかった。
やっぱり同年代の友達は大切。
共通の思い出がある!!

電話とかテレビとか窓の鍵とかいたるところで懐かしさがあったなあ。



これは小出邸の玄関のところにあった椿。
椿と・・・・・・・
ここまで書いて
Kは椿と何の花の違いを教えてくれたんだっけ?
とわからなくなりKにメールする。
答えはすぐに返ってきた。

「さざんか」です。
ちなみにさざんかは散る時は「はらはら」と花びらが落ちる感じです。
それから椿は冬から初春にかけて咲き山茶花は秋から冬にかけて咲きます。
でも、雑種化しちゃっててこれらの見分け方だけでは万全ではありません。


何度も同じ説明をしていただき申し訳ありません。


あと現地での説明では椿はふちにぎざぎざがなくつるっとしていて、山茶花はぎざぎざと言っていたような気がする。
やっぱその場でメモしないと何も頭には残らない!
しかも何度も同じ経験をしているのに、一向に反省がいかされない。。。


小出邸の対面にあるのが常盤台写真場。
常盤台は田園調布と並ぶ高級住宅街として開発された。


この建物はまるで映画のセットみたいだった!!!
高級住宅街でこのような写真やというのは儲かっただろうなあ。。

スタジオは屋根に窓がつけられていて明るくて広い。
このスタジオの隣には控え室とかたぶん従業員の人が使っていた部屋とかがあった。

ここではこのお釜でもりあがった。
電気炊飯器になる前はこのような形のお釜だった。
ガスでご飯をたいていた。
今のようにスイッチひとつじゃなくって、ご飯をたく間はここにいなければならなかったから、かなり時間の制約があったんだろうなと思う。
そう考えると本当に自由な時間は多くなったはずなんだ。
なのになんでこんなに忙しいんだ?
遊んでいて忙しいだろうが!!と言われそうです。。。)


このスタジオの隣に三井八郎右衛門のお屋敷がある。
ここは本当にお屋敷なんだ!
ちょっとすごかった。


玄関のドアにも紋が使われている。
そして天井にはこのようなシャンデリアがかけられており、ふすまにはそれぞれ絵が描かれている。


ひとつひとつ本当に見事なんだ。
なのに、3人の反応は今ひとつ。
こういう家は寒そうだの、暗いだの、和洋折衷だのいろいろと言った。
要はこの家はあまりにも自分たちとはかけはなれた存在だったんだな。
やっぱり昔使っていたお風呂があったりお釜があったりする家の方がいいです。


この5軒を見ただけで1時間以上たってしまった。
ゆっくり見れば3時間というのはちょっと計算違いしてないか。。。

ここでお昼ごはんにする。
最初にガイドのおじさんに
『お昼ごはんはどこで食べられますか?』
ということだけはちゃんと聞いておいた。
道案内のパンフレットをもってこなくても、約束の日時がはっきりしなくてもこういうことだけはちゃんと聞くんだ!!

昭和初期の下町を再現している下町中どおりにうどんやがあるということで、そこに行く。
昔、武蔵野は田んぼがあまりできなかったためにうどんをよく作ったそうだ。
婚礼などにもうどんがでたらしい。
Mによると韓国でも婚礼には麺がでるそうだ。
いつもだったらランチでゆっくりしてしゃべるんだけど、この日は先を急ぐ。

食事の後はうどんやの近くの下町の中心となっている銭湯へ。
この子宝湯は『千と千尋の神隠し』のモデルとなった銭湯だ。



今回判明したこと。
どこの銭湯もこうなのかわからないけど、壁に描かれている絵は男湯と女湯で一枚だ。
で、なぜか男湯の方に富士山がある。
まあ差別とまではいいませんが、女湯に富士山を描いてもよかったんじゃない?
って思うのはomiだけかなあ。。



3人の中で盛り上がったこと。
番台の中にどのようにはいるかということだ。
下に小さな入り口があるけどここからはいるのか。。それともはしごがついていたのか。。
ささいなことで盛り上がれるのはちょっとうれしい。

この界隈にはいろいろな商店が復元されている。


酒屋さん、仕立てやさん、居酒屋など店の中まで雰囲気たっぷりだ。
仕立て屋さんって洋服を作るんだじゃないんだ。
中には反物があって、
ああ!!着物だ!!
とそこではじめてわかる。



上の3つの写真は左から文房具や、金物や、花やだ。
昔の文房具やって壁にいっぱい引き出しがあってそこから画用紙をだしてくれていた。
そうだ!!そうだ!!
と思い出す。
置いてある品物をみると、鉛筆やのりは今もそんなに変わりがないかな。

金物やで見つけました。
幼稚園の時に遠足でさげていった水筒
Mも同じものを使っていたらしい。
『お茶とかぬるくなっちゃうんだよね。』
と話に花が咲いてしまう。
今の子供達ってこういうのってわからないだろうなあ。

昭和のはじめのお花屋さんというのもモダンだ。
花を買える人っていうのがまた決まっていたかも。。


下町を見た後、たどりついたのが天明家。
江戸時代の旧家だ。



この家には殿様が川遊びに来たときに休む部屋があって、殿様専用の玄関が左の方にある。
家の一番いい場所が殿様用で庭も殿様用に枯山水にしてあったらしい。

殿様のためにそこまでしてあげることに納得がいかないomi.
『自分が遊ぶことで迷惑をかけないでほしいわ!!』
するとKは言った。
『川遊びでもしないと殿様は暇だったんだよ!!』
ですかね。
まあ直接の利害がないので会話はここでとまる。
これが自分たちの迷惑だったら3人とも黙ってないだろうな!

天明家の軒下には柿がつるされていた。
ここの園内で採れた柿らしい。




西川家別邸ではガイドのおじさんがたくさん説明してくださった。
(このあたりになると日が落ちてきて写真が少なくなる。。。)
床の間の長さにたたみをあわせているとか、たくさんの種類の木が木材として使われているとか、床の間の方角とか、あんまりたくさん説明していただいたので、申し訳ないことに全部は覚えきれなかった。
おじさんはお茶室の説明から茶道がどのように作られていったのか、まるで社会科の先生のようにすらすらと説明してくれた。
これだけ知識があったら楽しいだろうなあ。

日が落ちてきている。
先を急がなければならない。

西川家の隣にあるのが高橋是清邸だ。
高橋是清という名前を知ってはいたが、それ以上のことは知らないomi.
そこはやはりKよ!!
『226事件よ!』
とすぐに答えてくれましたもん。
やはり若い時の勉強は必要!!!
こういうところで学の差が垣間見えてしまう。。。。
因みにMは韓国で歴史を習ったんだけど、こういう会話が一緒にできるんだわ。
それもすごい!!
omiは韓国の歴史といえばチャングムとチュモンしかしらない。。。。



この家は226事件の舞台になった家だ。
実際に高橋是清はここで亡くなられたそうだ。
寝室がある2階に行くには階段が2箇所にある。
ということは青年将校たちはこの2つの階段から登ってきたんだな。
と勝手に検証する。

ここの家の窓のガラスは凹凸があり外の景色がゆがんででみえるが、この時代にこれだけのガラスを使った家というのがすごいことなんだ。


高橋是政邸を出た時は、かなり日が傾きかけていた。
結局、この日は11時ごろからみ始めて、4時ぐらいまで園内にいた。
なのにだ。
全部見られなかった!!

ゆっくり見て3時間というのは、早歩きでゆっくり見ると3時間でも可ということかもしれない。
食事以外はずっと見学した3人。
さすがに帰りは疲れました。

でも、やっぱピクニックは楽しいわ。
これからもランチだけじゃなくって、いろいろなところに出没することにしよう!!!
と誓ったのでありました。



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