omi 年賀状を作る |
2004年11月18日 |
omiの両親は近所に住んでいる。 年もとっていることだし、何かと呼び出しが多い。 毎年、この季節になると年賀状の印刷はomiの仕事となる。 今年も電話がかかってきた。 「年賀状買っておいたわよ。」 これは母がomi家の分の年賀状も購入しておいてくれているということなんだ。 しかし同時に年賀状作りお願いね、ということでもある。 そりゃ、パソコンなんか簡単、簡単という方だったら、こんなことでどきっとすることはない。 しかしomiはパソコンそのものが得意なわけではない。 ちょっとやってみようとか、みんなやってておもしろそうだからなんて理由でパソコンをやりはじめたんだ。 だからパソコンで年賀状を作ってねと言われると、かなりのプレッシャーがかかる。 しかも相手が母だとものすごく緊張するんだ。 omiと違って母は非常に超超几帳面な人物である。 その母の気に入る年賀状を作るにはかなりの根性をいれなければならない。 そして今年の根性を入れる日が今日であった。 まず事前に買っておいた年賀状イラスト集の本のCDロムをインストールして、今年はこんな感じでいかがでしょうというサンプルを作る。 これがサンプルだといって気を抜くと文句がくる。 「右と左のスペースが違うんじゃない。」 〜〜だって実際のはがきを使っているんじゃなくってA4の紙をちょきちょき切って使っているんだから、ぱちっと決まるわけはないのだ。 しかも製作者はomiだ。 しかしそんなことはおかまいなく母はばしばし言う。 こういう字は気に入らない。全体のバランスがなってない。 ひと通りサンプルの批評を聞いてから、年賀状づくりがはじまる。 これだけ批評するんだから、すぐに自分の年賀状のデザインも決まるだろうと思うのだが、そこはそうはいかない。 サンプル集の本を最初から丹念に見る。いいかげんな人間、私のようなタイプはですね、サンプル集を見ても1分でデザインを決めることができる。しかし母はかなり時間をかけてそれを見る。 そこで私は途中で声をかける。 「そんなに見ているとわけがわからなくなるでしょ」 だいたいサンプル集というのは若向き、年寄り向きがごっちゃにのっているし、実際に使うところは少しなんだが、なにか全部見ないといいものが作れないような錯覚に陥るようにできているらしい。それをずっと見ていくのだから時間もかかるし、疲労度も増す。 そこで途中でかならず声をかけるんだ。 そしてこのサンプル集のどこのあたりをメインで使っていけばいいかを説明しだす。 じゃあはじめから説明していけばいいじゃないと思うのだが、この順序を間違えると後々まで影響が残る。 要は母が自分で製作したということにしなければならないのだ。 そしてあらためて批判の光線があたりまくった私が製作したサンプルをとりだす。 そりゃ、母がいくら気にいらなくっても、アニメや漫画的な文字を省いている分、母の感覚に近いところに持ってきてはいるのだ。今年の年賀状のサンプルはこの本から2つ、母が作っている庭の姫りんごの写真があったので、それを年賀状にいれて作ってみた写真入りのサンプルが1つだ。 実家の年賀状に写真を入れてみたのははじめてだ。 写真入のサンプルを見たときに母はいった。 「姫りんごの花って、春でしょ」 春だからいいんじゃないかなって思っていれたんだけどな。 これが夏や秋の花だったらちょっと困るでしょ。 なんていつものように言えず、やんわりと 「春だからいいかと思ったのよ」 と言った。 すると写真を見て、自分が育てた姫りんごの木が母の頭の中にわっと飛び込んできたようだ。 「む。このりんごの写真いいかもしれないわ。」 だろ。とちょっと心の中でガッツポーズをとる。 「だけどこの写真にこの文字は硬すぎるわ。」 でたよ。でもここまでくれば先は見えてる。 「じゃあ、ここの中から字を選んでみて」 とサンプル集をまただす。最初からここをスタートにしていればいいんだけど、と毎回思う。 「む。これとこれね」 字が選べた。 「二つサンプルを作ってみて。次の挨拶の文は自分で書くわ。でもこういう文字で印刷できるのね。」 そこまでは順調だった。ところが母は思いついた。 「写真がはいるということは、私が書いた文字もここに入れることができるの?」 それは技術的には可能なんだ。スキャナで取り組んでペーストしていけばいい。しかしその過程で必ずしも思っている方向にいかなくなり、母が頭に描いたものと違う葉書ができてしまうことはかなり高いパーセンテージで襲ってきそうである。それは私の技術がないからなのだが、母はパソコンができる娘はパソコンに関しては何でもできると勘違いしている。それを納得するように説明するのに今度は時間がかかる。で、私はまたやんわりと言った。 「せっかく自分の手作りの年賀状にするんだから、文字のところは全部自分で書いたら?」 実は母は習字が得意なので、文字を書くことの抵抗はあまりない。 その得意分野を褒め称えるようにして、なるべくこちらへ負担がかからないようにもっていく。 「そうねえ。年賀状だから自分で書こうかしら」 そうだそうだ。そういいながらもまた今度はサンプル集をひっくり返している。 「そうねえ、こういう判子のような酉の文字がはいるといいわね。」 それは大丈夫だ。そこでそれはすすめる。 「うん。こういうのって、小さくもなるから字の横につけてみれば」 そこでその判子をいくつか選んでもらい、文字2、判子2という組み合わせのサンプルを作ることにした。実際にやってみるとこの判子の部分の大きさで微妙に感じが変わってくる。そこで判子の大きさを少しかえながらサンプルをいくつか作り、選らんでもらう。 「む。これでいいわ。」 ひとつのサンプルを選んで、やっとそれに決まった。 よかった本日中に完成しそうじゃない。 そして再び我が家での印刷がはじまった。40枚、50枚と順調に印刷される。今年はこれで終わりよ。 と思ったらプリンターに紙詰まりがおこった。 設定をしなおして、残りの印刷はひとつひとつインクのよごれがないかと見て、またまたえらい気をつかった。普通は印刷がはじまったところで順調に終わるんだろうけど、絶対に最後までわからないのがomiの仕事だ。 できあがった年賀状を届ける。 まあこれだけはやく仕上げれば、ゆっくりと一枚、一枚書く時間があるでしょう。なにかomiもほっとする。 因みに我が家の年賀状は私が版画を彫るので、このサンプル集を使わない。その版画はまだ彫り終わっていない。というかほとんどこれから彫らなければならないんだ。毎年、息子に何の絵かわからないと言われてながら版画にしているのはちょっと時代に抵抗しているのかもしれないな。 でもこうやって毎年、パソコンを使っても年賀状を作ってはいるんです。 |