模擬テスト

2005年5月16日


息子が大手予備校の模擬試験を受けると言った。
詳細は今週のomi家に書いたが、この申し込み、なぜか私が行くことになってしまった。

予備校に行った。
で模擬テストを受けたいといったら、
「この用紙に書いて下さい」
と3枚の用紙が手渡された。
そのどれもが、コンピューターにかけるように数字を塗りつぶすものだった。
学校のコードを探して、試験会場を選んで、試験科目を選ぶ。
えらく苦労してそれを作成した。
そしてすべてを終え、家に帰ってその受験票をみると指定した受験会場と違うところが会場として書かれている。
すぐに予備校に電話した。
結局受験票は送ってはもらえないけど、当日、希望する会場で受験できるように、とりあえず手配してもらった。



次男は大手予備校の模擬テストというものを受けるのははじめてだった。
場所は某大学だ。
どうせ本番では大學で試験を受けるのだし、一回ぐらい大學というところを見ておいてもいいかなと思ったということもある。
(本当の理由はそこの大學が比較的近いということにあるが)

模擬テストというのは学力のテストというよりは
体力テストという感じだ。
朝から夕方までひっきりなしにテストを受けるのである。
実際の試験はこんなに過酷ではないから、(
結果はどうあれ、その時間割という意味でなんだが模擬テストで鍛えれば、少なくても体力づくりだけはできるというシステムになっている。



試験当日、息子は朝、はやく家をでた。
朝一番に例の手続きをしなければならないからだ。
受験会場となった大学にはその予備校の仮の事務所が作られている。
そこで、受験票を交換するのが、この日の一番最初の作業だ。
受験をするというよりも障害物競技でもしているような感じである。
まず第一の関門、受験票をとりかえるという作業はクリアした。
もしか何かあっても朝一番で母は遊びにいってしまったから、どうにもならない状況だったので、クリアできてよかった。
で、なければ出先から携帯を使って回りを省みず、
「これはお宅のミスだったのになぜそうなるんですか?」
なんて母は大声をださなければならないところだった。
想像できたのはそのあたりまでだ。



息子の第二の関門は想像を絶する。
家に帰ってきて一番に報告したのはその第二の関門のことだった。
「いやあ、今日は大変だったんだよ」
「そりゃ模擬テストだ」
「おなかが痛くなってさあ」
それを聞いただけでナイーブな母はどきっとする。
試験中におなかが痛くなったりすればそれだけでかなりのダメージをうける。
息子は続ける。
「それでトイレに行ったんだよ」
母はどきどきした。
「そしたら、トイレが流れなかったんだよ」
試験の前にそんなことがあったんだ。
「そして水がぎりぎりまで昇ってきた」
それを息子はジェスチャーを交えて説明してくれる。
そしてだんだんその声が大きくなっていった。
「あんまりながれなくってあふれそうになってたから、ボタンをもう一回おしたら、水があふれてきたんだよ。」
母は頭の中が白くなった。
「トイレットペーパーのロールがあったからそれを2本そこらじゅうにひいたけど、水が外に流れてしまった」
母は個室で奮闘している息子の姿を思い浮かべなければならなかった。
なぜ模擬テストを受けに行った息子のトイレの姿を考えなければならないか?
「で、どうしたの?」
「しかたないから、そのまま外にでてきて、ほとんど逃げてきた」
「靴は?濡れたのか?」
「いや、それは大丈夫だった。」
流れが一定の方向に向かっていたということか?
「うんこは?」
「それは流れていたから大丈夫だった」
うんこが外に飛び出なくって何よりだったと思う以外に何も思うことはなかった。

「すごいどきどきして、試験の最初の方もどきどきしてた」

「スカット以外で足が震えるのはじめてだったよ」
なにかどきどきするところが違うんだよね。
大學のトイレなんかそんなにピカピカではないだろうし、このように故障しているところもあるだろう。
息子は本番の試験のときに、トイレのトラブルだけには強いだろうなと思った。

息子も言った。
「本番のとき同じことがあったら、僕、これ経験してますからって言える。絶対どきどきしないですむ。」
そんなこと言うチャンスがあるかなあ?


なぜか試験の心配以前のことから始まっているのが我が家の特徴だ。


息子はさらに続けた。
試験会場でのことだ。
「どうみても年をとっている人が試験を受けにきていた。
ひょっとするとお父さんぐらいの年かもしれない
この子は試験を受けに行って、問題の心配とか問題の感想はないんだろうかと思った。
「なんであんな人が試験受けるんだろう?」
そんな心配しないで自分の試験の心配をしたほうがいいと思うけど。

肝心の試験の方ができたのかできなかったのかさっぱりわからないけど、帰宅してから自分で○とか×をつけていたようだ。

「すごいぞ。ここはこんなにあっている。神は見放さなかった。」

最初から神がかりか!

そのすぐあとに
「あれあれここもここもここも違っている。ここは自信あったのに。」
はやくも神に見放されているようだ。

そして我が息子が本当にすごいと思ったのは英語はできないけど、ヒヤリングの点数が比較的よかったということだ。
ものすごい勘ですよ。これは。
ヒヤリングなんか勉強したことないんだから、

ワンハンドレッドパーセントの勘!

ということは勉強するよりもだ。
勘を研ぎ澄ませたほうが点数を上げる近道のような気がしてならないのは母だけなのかなあ。


息子はこうもいう。
センター試験というのはとにかく書けばいいんだから、できない子のための救済措置なんだ。
なわけないだろ!!

息子はさらに続ける。
そうしないと試験が公平ではない。
息子の公平感というのはどういうものなんだろう!!


とにかく息子の神頼みの試験本番は公平、不公平にかかわらず、一日一日と近づいている。
息子は模擬テストに行くたびにパニックだけには強くなるかもしれないが、それだけが鍛えられていっても、やはり肝心の勉強をしなければ試験には受からない。
はっきり言って毎晩毎晩ビデオ、DVDを見まくっている息子はまだそれがわかってない。

次の模擬テストは何が起こるか、予測不能だが、体力とパニック防止だけは鍛えられていくことだろうと母は推察する。

この記事は今週のomi家と一部重複してます。




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