3rd LIVE CONCERT IN TOKYO  イ・ムンセ独創会  The OPERA

2004年2月29日     

イ・ムンセ ーテレビ韓国語講座のオープニングを歌っている歌手。その名前を知ったのは彼が韓国語講座のゲストとして招かれたときだった。若くてイケメンというわけではない。しかしその歌唱力とトークのおもしろさ。それはなにかひきつけられるものがあった。そのすぐ後に友達から借りた雑誌に彼のコンサートの紹介が載っていたのを見たときビビッときてしまった。

2月29日、新宿厚生年金会館ホール。3時開演の前のホールは韓国人と日本人の波だった。このときすでに日本にあって日本ではない雰囲気が漂っており、それだけで、韓国大好き人間になっている私はわくわくしてしまった。もしこれが日本のコンサートというのなら、まだ歩けないような子をだっこしている夫婦の姿や老人や子供、そして若者、老若男女とわない年齢層の観客をみることはなかなかできないだろう。ハングルが飛び交うその空間にどれだけ私は陶酔してしまったか。まだ何も見ていないうちにハイテンションになる自分を感じた。

2時開場という案内とはうらはらに2時半になってもまだ扉は開かない。でも誰も文句は言わない。かっこいい韓国人の男の子がいると、やはり韓国の男の子はいいと勝手に思ったり(かなりドラマのみすぎかも)しているうちにようやくホールにはいることができた。45分の遅れ。リハーサルが長引いたためという理由だったのがまた韓国なのかなとなんでも韓国にこじつけてしまう。席は一番安い2階席だったが、なんと一週間前の購入にもかかわらず、前から2番目だった。超ラッキーだ。私の左側は韓国人の若いカップル、右側は娘さんときていた韓国人のアジュンマだった。このアジュンマは日本語で話したり、韓国語で話したりする。コンサート前のコマーシャルでアシアナ航空の映像がスクリーンに流れたあと、韓国語で何か注意があった。もちろんまったくわからないので、この隣のアジュンマに思い切って何て言っていたのか聞いた。

「チケットの半分が抽選券になっているみたい。でももう渡した後で番号がわからないよ」

なにかとても気軽に答えていただいので、私も韓国語で話してみた。

「イムンセシヌン ハングゲソ インキガ イッソヨ?」

(イムンセさんは韓国で人気がありますか)−と聞いたつもり。

「インキガ マンタ」

と聞こえた。たぶんとても人気があるということなんだろう。このアジュンマはもう日本に20年も住んでいて、彼のコンサートに来るのは初めてということだった。

日本語でカメラ・携帯などでの写真撮影、録音はお断りします。という案内の後、いよいよ幕があがった。

ベニスの風景からはじまる。彼の歌唱力にはオペラ歌手のようなはりがあり、場内を圧倒する。このような感じで続けられるのかと思うと次はダンス、そしてバラードと次から次へと場面を変えていく。そして

「女性のみなさん、タタッタタタッタと歌ってください。はいもっと大きな声で、いいというまで、続けてください。男性のみなさん、タータ、タータと合わせて、そうそう、それでは3番目の人たち、はいおばさん達。タタッタタタッタは若い人にまかせて、おばさん達はチチッチチチッチと合わせてください。」

そして場内が声の伴奏でいっぱいになったとき、レインドロッピフォーリオンマイヘッドと歌いだした。もちろん彼が言っていることは同時通訳のレシーバーで聞いているのだが、これだったら日本人でも参加できるではないか。外国人のシンガーでもこんないに参加できてたのしめるなんて素敵だ。

私は韓国の音楽はバラードが絶対的に好きだが、彼の歌うバラードも本当によかった。もうぐっときてしまう。

このコンサートでおもしろかったのは、観客の様子にもあった。韓国での舞台は本当に楽しいと聞いたことがあるが、彼が最初に話だすやいなやあちこちで

「オッパー」(兄や恋人に対する呼びかけ)

と声がかかった。ん〜1954年うまれだからもう40歳を過ぎているよね。と私の頭の中はくるくるまわる。なるほど、格好がいい人は少々、年をとっていてもオッパーなのか。隣のアジュンマはイムンセちゃ〜んとなんと日本語で声をかけていた。

このアジュンマは途中で腰が痛いと靴を脱ぎ、足を座席にのせ、正座一歩手前という状態になった。そしてその状態で何回もイムンセちゃ〜んと声をかけた。こういう韓国の雰囲気ってすごく好きだ。

とても残念なのは途中でコントが入ったとき、同時通訳がついていけず、あまりその意味がわからなかったことだった。もっとハングルを勉強するぞとこういうときは堅く決意するのだが、この気持ちがいつも持続しないことが我ながらなさけない。

トークの途中で

「今日が何かの記念日の人?」

という問いかけがあったのだが、もちろん何の記念日でもない私は手を上げられなかった。何人か手をあがたが、その日誕生日だった、70歳の日本人のおばあちゃんを彼は舞台に招き、彼女と話をした。彼女は突然、マイクの前で

「イムンセ チョアヨ」(イムンセ、好きです)

といってのけた。彼女はそれによってイムンセがそのときまで使っていたギターにサインをしてもらって、なんとそのギターをもらったのだ。2月29日の誕生日なんて4年に1回なのに、こんないいことがあるんだ。あと結婚記念日なのにご主人を家に残してコンサートにきたおばさんはソウル往復のアシアナのエアーチケットをもらった。本当に4年に1回の日に結婚したのか、ものすごくうらやましかった私はついつい疑ってしまった。私は絶対にファンレターをだして、今度は3月17日(私の誕生日)にコンサートをやってもらうように頼もうと思う。

コンサートは後半、演歌にはいった。韓国の演歌って日本の演歌に似ている。隣のアジュンマは一生懸命に歌っている。昔は演歌がきらいだったけど、今このように韓国語で聞く演歌はいいものだなあと思う。これこそアジアの歌なのかもしれない。オペラから演歌まで歌える歌手がその後突然、ダンシングミュージックを歌いだした。それも軽やかに踊りながらだ。隣のアジュンマはたまらなくなって、靴をはき立ち上がった。手を上に、下に体を回転させて、おもいっきりがんばっている。踊りが続くにつれ、舞台の前は踊っている人でいっぱいになった。手を上に、したに、体をまわして、みんなで同じ動作をしていく。このダンスはあとでパンフレットにのっていることがわかった。そして最初の案内を完全に無視して、写真をとりはじめる人が増えてきた。舞台前の人はもうほとんどが携帯をだしている。最初の警告はいったいなんだったんだ。しかしこれこそ韓国だなとまた感動する。隣のアジュンマはスーツの上着を脱いで、おそらく汗をかいて踊っている。あのワールドカップのときのソウルの市庁舎前の人たちを連想してしまった。

最後の曲がおわり、アンコールの声が鳴り響く。するとスクリーンに日本語とハングルで、

「今日のコンサートは終わりました。皆様すみやかに・・・アンコールをしてください」

とでて場内がわきたつ。アンコール曲の一番最後に、あのハングル講座のオープニングテーマが流れた。これがなぜかものすごくうれしかった。

 この日の公演は3時と7時の2回だった。3時からの公演に行った私はどんなに遅くても、7時ぐらいまでには家に到着するだろうと思っていたが、なんと外にでたときは、真っ暗だった。えっと思い時計もみると、なんと6時半。えっ!3時間半近くもやっていたんだ。あまりにも楽しくて時間がたつのも忘れてしまうとはこういうことなんだ!

 しかしだ。この後の7時の公演はどうするんだろう。こんな馬鹿なことを考えてしまう観客は私ひとりだっただろうか。テープでいっぱいになった舞台をきれいにして、6時半で終わった観客をホールからだして、どう考えても7時には開演できなかっただろう。そしてまたファイナルの公演が3時間半だとしたら・・・

3時の公演に行ってよかった。

また絶対に韓国に行きたいと思っている私だが、その中にもうひとつ付け加えるとしたら、韓国でイムンセの公演を見てみたい。もっともっと面白いに違いない。やっぱがんばってハングルを勉強しなくちゃ。

inserted by FC2 system