グレン・ミラー・オーケストラ
2004年11月20日


グレン・ミラー・オーケストラの演奏をはじめて聴いたのはオハイオ州のコロンバスだった。当時、私はオハイオ州の州都のコロンバスから車で30分ぐらいのところに住んでいた。グレン・ミラー・オーケストラが来るというのでその日は友達と4人でちょっとおしゃれをして夜のドライブをしながら出かけたんだ。コンサートといえば、ジーパン、Tシャツでドウビーブラザーズなどに行っていたころの話だ。

グレン・ミラーはいくら私が年をとっているとはいえ私と同じ年代の人ではない。しかしオハイオのコンサートに行った時、年代をこえた音楽によって私はまたアメリカという国を見ることになったのである。アメリカ人のファンがこのオーケストラに対して、またこの時代の音楽に対してどのように愛情を注いでいるか。アメリカに住んでいてわかったのは結構アメリカ人って保守的な人も多くて、自分たちが作ってきたものを大切にしている。音楽も例外ではない。自分の国で生まれたこのオーケストラをいかに愛しているか、それがよくわかるコンサートだった。当日はコンサートのために星条旗のスーツで来ている紳士やドレス姿の婦人など、コンサートを楽しみにして来た!という人々であふれていた。
この日のコロンバスの劇場は今でもよく覚えている。

たぶん私がこの時代の音楽が好きなのはそれよりもっと昔に発端があると思う。それはおそらく母の影響によるものだ。小さい時に母が好きだった「アメリカンパトロール」など聞かされて育ったんだ。コロンバスのコンサートに一緒に行った友達は新しい音楽が好きだったんだけど、私は小さい時に聞いていた音楽をその時も楽しんだし、その後もずっと好きだ。

グレン・ミラーは1904年アイオワ州に生まれる。彼がオーケストラを結成したのは1938年から1942年のことだ。その後オーケストラを解散して彼は入隊する。1943年グレン・ミラーは空軍バンドの指揮者になり、全米、またヨーロッパ戦線への慰問をおこなった。1943年12月15日、彼はパリに向かう途中、飛行機事故にあって40歳の生涯をとじる。このわずかの期間に彼はその後何十年も演奏され続けている曲をヒットさせた。今年はグレン・ミラーの生誕100年にあたる。今のオーケストラは彼の死後、12年の後、1956年にグレン・ミラーの空軍バンドの副指揮者をしていたドラマーのレイ・マキンレーがリーダーとなって結成されたものが引き継がれている。

そしてグレン・ミラー・オーケストラが今年も日本にやってきた。
しかもわれわれが住んでいる町の近くにやってきたんだ!

母を誘ったら、そりゃもちろん一緒に行った。

会場は東京とはいえ、かなりローカルだ。しかし客席は満員だ。
幕があくとそこはアメリカだった。背景がニューヨークを思わせる摩天楼になっている。私が描いていたあの夢の国のアメリカがあったのだ。

今回のオーケストラのメンバーは指揮者、ラリーオブライエン。ヴォーカル、ジュリア・リッチ、ニック・ヒルシャーだ。ラリーオブライエンは日本語で挨拶をはじめた。韓国のアーティストの時にも感じたけど、日本語が少しでもはいるとすごく親近感がわく。なんせローカルな会場なので、コロンバスのようにはいかない。でもアメリカだと感じることができるのがものすごくいい。

ムーンライト・セレナーデではじまる。まさにアメリカンドリームの世界だ。オーケストラのメンバーは若い人もかなりいて、この種類の音楽がまだアメリカでどの世代にも受け入れられていることがわかる。

公演は2部にわかれていた。まず1部でムーンライト・セレナーデ、真珠の首飾りなどおなじみの曲が演奏される。ヴォーカルのジュリア・リッチによるオーバーザレインボー。しっとりした歌声でよかったわ。ジュディーガーランドのようなはでな声でないのがまたいい。指揮者のラリーオブライエンは、指揮者とトロンボーン演奏と司会者と多才だ。演奏曲目を紹介してくれる。休憩の前の一曲といって、アメリカン・パトロールがはいった。私はなぜこの曲だけを小さい時聞いたなかで覚えているのかわからないけど、この曲を聴くとなにか懐かしい。

2部の最初にクリスマスソングが何曲かいれられた。ライトもクリスマス色になっている。クリスマスだって私が小さい時は今のような華やかなものではなかった。家にあった小さなクリスマスツリーの飾りは母がそのまた昔にアメリカから取り寄せたものを使っていた。今に比べると暖かい感じのするクリスマスだった。そしてアンディーウイリアムズの歌うホワイトクリスマスなどがテレビでも流されていた。今回はその当時の感じがよみがえるようなクリスマス曲が演奏された。ジェフリースミス他2人がヴォーカルの2人と歌を唄う。これがまたよかった。演奏もし、歌も唄える。これが楽団員になる資格なのだろうか。

クリスマスソングに続く5.6曲は観客ものっていた。ラリー・オブライエンのリードで観客が手で拍子をとっていく。トランペットやトロンボーンの演出も楽しい。トロンボーンは左右に楽器を振りながら演奏を続ける。ソロをする人がそのトロンボーンにぶつからないように前にでてくる。トランペットも帽子でふた(これって専門用語わかりません)をするようにして演奏していく。楽団員そのものが私たちのあこがれていたアメリカだった。そしてまたムーンライトセレナーデ。あっという間の2時間だった。最後にラリーオブライエンに花束が渡されると彼は観客の何人かにそのバラの花を配った。そしてアンコール。カーテンがしまる時は楽団の人が全員で手を振っていた。また来年、来てください!!
と私たちも手を振った。

今回、この東京のコンサートに行って私が幼い時に思っていたアメリカの姿が脳裏によみがえってきた。それは日本が戦争に負け、どっとアメリカの文化がはいってきた時にたぶんはじまったのだと思う。戦後といっても私が生まれたのは戦後からちょっと(いやかなりか)間がたってからだった。しかし幼い頃はアメリカは手の届かない夢の国のような存在だった。ドラマでも「ララミー牧場」、「名犬ラッシー」、「わんぱくフリッパー」などアメリカはいいぞってアピールしているドラマがどんどんはいってきた。「ディズニーランド」も毎週やっていて、花火のナイアガラが画面に流れると「ディズニーランド」に行ってみたいなあと思ったものだ。本だって「足長おじさん」、「赤毛のアン」、「若草物語」とアメリカのものであふれていた。アメリカでは24時間お湯がでる水道があるとか、車で買い物に行くとか、今考えたら当たり前のことなんだが、当時はそれがアメリカであり、あこがれの世界だった。今の若い人には考えられないだろうが、アメリカとはそういう国だったのだ。

グレンミラーオーケストラはそういう世界中の人々があこがれていた時代のアメリカを反映しており、そこから流れている音楽はその時代を思い出させてくれる。年代は変わったがオーケストラは健在であり、また古きよきアメリカを垣間見ることができる。

今回のコンサート、行ってよかったわ。
古きよきアメリカ、古きよきオハイオの時代がかえってきた2時間だった。



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