Fahrenheit 9/11



華氏911。これほど心にぴたっとくる映画を見ると気持ちがいい。

3年前の911に続く、イラク攻撃、いやそれよりも前の湾岸戦争、それらは何故と思うことばかりだった。そう感じているのは私だけではないことは知っていた。しかしテレビで伝えられるニュースは表向きのことばかりだ。どうしてこのような事態になってしまっているのか、深く掘り下げる番組は制作されない。多くの人は石油の利権がこの戦争にかかわっていることを知ってはいる。しかし一部の人の利益のためにどれだけ多くの犠牲者がでているかということを取り上げようとする企画はない。それはそうすることにより自分を犠牲にしなければならないことを配給する側もされる側も知っているからだ。今回、アメリカ人によって世界中にこの戦争の現状と事実を知らせることができる映画が作りだされたということは画期的なことだ。自分が犠牲になってしまうかもしれないというリスクを乗り越えて、マイケルムーア監督はよくやってくれたと手をあげて喜びたい気分だ。

911に対する疑問はまだまだ解決されていない。あの事件の数日前には朝日新聞に小さな記事として日本か韓国の米軍基地に何かあるかもしれないという情報があると書かれていた。そのときこれはいったいなんだろうと漠然と思った。記事には誰がどのような目的でということはもちろん書かれていなかったし、そのニュースソースなどはわかるはずもなかった。そして911がおこった。あの衝撃的な映像を見て思った。あの記事はこういうことだったんだと。

911の前に日本の米軍基地に何かあるかもしれないということまでわかっていたのだから、当然なんらかの情報はアメリカ本土にもあったはずだ。どうみてもかなり警戒をしなければいけない状況であったことは確かだ。しかし事件前に特別な地域に厳重な警戒をしたというような報道はまったくなかった。もしあの朝日新聞の記事を読まなかったらここまで911のことを考えなかったかもしれない。しかしやはりあの記事は私の心の中に今でも疑問を投げかけている。そして後日、もしかするとあのような事件がおこることを、ごくごく一部のアメリカ人は望んでいたのではないかと週刊誌などに書かれていた記事を否定できなくなるほど911に対する疑問は深まった。

 そもそも2000年のフロリダの選挙戦というのは政治には素人の日本人の私がみても、とてもおかしなものだった。民主党の候補、ゴア氏との競り合いの結果、何故再集計をしなければならなかったのか、そして何故フロリダだけが再集計したのかと思った。そしてそう思っているうちにブッシュが大統領になってしまっていたのだ。これは誰からみてもわけのわからない不透明な選挙だったといわざるを得ない。とても世界のリーダーになっている国の選挙とは思えなかった。もうこの時点でイラク攻撃は決まっていたのではないかと後で聞いたときにはなるほどと思ったのもしかたのないことだ。

 真実は証明できない。しかし乗客がテロリストと戦って墜落されたとしている飛行機。あれは本当に乗客がテロリストと戦ったのだろうか。ホワイトハウスに落ちる前に軍によって攻撃されたのではないだろうか。これは何度も言われていることである。当時ニューヨーク在住だった人も、あの飛行機のことはみんな疑っていると言っていた。ちょっと不自然だから今でも頭の片隅にあり、このように書くことができる。

そして一番の疑問はビンラディンがいまだにつかまらないという事実だ。ビンラディンが911の首謀者だとしたらまずイラクの攻撃よりもビンラディンの確保じゃないのかな。それなのにビンラディンは逮捕できてない。世界最高の軍隊を持ち、最高の情報網をもっているアメリカなのにどうして?

数々の疑問が今まで私の頭の中をかすめていたのだが、この映画はそれを映像で示し、数学のようにきちっと割り切った答えをだしてくれた。

この映画の賛否両論はおそらくあるだろう。これは映画か?偏った意見でまとめられているのではないか?しかしそんなことはこの映画を見たら吹き飛んでしまう。偏った意見でまとめられているのなら、そう感じる人が反対の意見をきちっと示せばいい。もし同じような映画を反論として作ったら、それはまたおもしろいと思う。華氏911の映像は理解できるひとつのストーリーをもっているし、そういう意味では映画だと思う。つぎはぎの映像だけでこれだけの一環したストーリーは作れないだろう。

この映画がこれだけ賞賛されている理由は歴史的な大事件を扱ったということだけではない。監督のユーモアのセンスが映画の中に散りばめられているからだ。それはおおいに私たちの心をひきつける。これだけ深刻な問題を扱った映画であるのに皮肉をうまく使い、笑える場面を数多く取り入れた。そこにこの映画のおもしろさはあるのだ。本当にこれだっといいながら映像をみながらほくそ笑んでしまった。

 私がこの映画を見にいった日に、偶然にもNHKのクローズアップ現代で「911テロはアメリカをどうかえた」というテーマが報道された。その中で現在テロの警告はアメリカ人の間ではシニカルな見方がされているということが言われていた。つまりそれは政治的な目的か、低い収入から目をそらせるという目的があるということだ。これはまさに華氏911の中で、テロの警戒レベルは緑や青には決してならず、黄色から上、特に赤とオレンジの間をいったりきたりして人々の恐怖心をあおるという作戦だといっていたことにつながる。かなりシリアスな番組なのにその警戒レベルの表示がでたとたん私は「いったりきたり」という語句を強調していた映画を思い出して、笑いそうになってしまった。

 この笑いを引き出させているものは映像がつくり話ではなく、事実に基づいているところにある。大統領の休暇の割合や発言など、それは強調はしているが全部事実なのだ。だから心から笑えてしまう。

そしてまた映像は真実を伝える。911でワールドトレードセンターが攻撃されている時、ブッシュ大統領はフロリダの小学校にいた。側近の人が攻撃をブッシュ大統領の耳元で伝える。そのときの彼の顔。頭の中は小学校にはすでにないのだが、それでもそこに座り、これからどうすればいいのか考えている顔だ。何分かの時間の経過を示しながら彼の顔が変わらない様子を画面は伝えている。どうすればいいのか。まだそのまま。まだそのままといっているようだ。ここは本当にみどころだ。

Seeing is believing.

また映画はテレビでは放映されない数々の悲惨な戦争の現状も映していた。本当に見たくなかった。しかしこれが戦争だ、ということをはっきり示せるのはこのような映像しかないということを私たちは知らなければならない。これを見た若者が軍に志願できるだろうか。現在の報道はこのような戦争の悲惨な場面をかなり削除している。殺すことも殺されることも自分の隣にある。そのような戦争の現状をテレビでは放映しない。でももし毎日そのような放送をしたらどうなるだろうかと思う。戦争がいけないということが大前提の放送局がひとつあってもいいんじゃないかと思う。そうすれば人間として何が大切かということがわかるだろう。映画の中ではイラク人の犠牲者、アメリカ人の犠牲者が映し出されていた。戦争とは一方だけが悲劇に包まれるということはない。攻撃するほうも攻撃されるほうも犠牲になるのだ。

以前ビート武がやっていた外国人の討論会の番組はかなりおもしろかったが、その中でイラクの人は主張していた。

「なんでイラクをこれだけ苦しめるのか。」

なかなか日本のテレビでは放送されなかったイラクの現状も放送した。そのとき初めて思った。イラクの人は苦しんでいる。それまでそんな基本的なことも知らなかった自分はなんて無知な世界にいるのだろうと思った。それはまだ今回のイラク攻撃の前の番組だった。湾岸戦争後、苦しんでいたイラクの人々はずっと苦しみ続けている。戦争とは人間の尊厳を失うものであり、個々の自由をうばい、一生つきまとう悲劇をうみだすものだということを前提にしていくニュースはアメリカよりの日本では絶対に報道されない。映画監督のビート武がこの番組を企画したときもやったといった気分だった。

 マイケルムーアは監督はかなり個性が強い監督だ。それだけに彼に対するあたりもすごいようだ。それでも彼はブッシュ大統領に声をかけていく。そこがものすごくおもしろい。何をいわれてもジョークでかえしていく。日本人の私にはとてもできない。また彼が取材をしていると警備員が寄ってくる。

「確認だけなんですけど・・」

というその警備員の様子も撮ってしまう。もちろん違法ではない。しかしそれがマイケルムーアに対するホワイトハウスの対応だとはっきりわかってしまうところがまたまたおもしろい。道を行きかう議員に対して

「あなたの息子さんも国を守るためにイラクに行くように志願させてはいかがですか」

と呼びかけ、その議員の反応を映画に記録してしまうのも最高だ。このようなマイケルムーアの行動がこの映画をただ単に記録映画に終えず、超人気の映画にしたてた秘密のひとつであろう。

 私はこの映画を見て強く思ったのは人間の世界というのは古代の世界から基本的にかわっていないのではないかということだった。今は民主主義でみんなが平等だという。しかし戦場に行っている若者の多くは貧困層の出身であり、貧しさから抜け出すために戦争に行っているというのが現実だ。戦争に行けば大学にいける。そう思って実際の戦場の現状を知らないまま戦争に向かう若者がどれだけいるのだろうか。映画の中では入隊を誘う様子も映し出されていた。係官はなるべく貧しい地区に行き、軍にはいればスポーツもでき、音楽もできるといって、若者に入隊をすすめていた。このような勧誘が実際におこっているということを漠然とはわかっていたものの、私たちはどこまで正確にその実体を知っていただろうか。一部のエリートをささえるために底辺層でもがいている人々。それは古代社会とまったく同じものではないか。人間は何も進歩していない。私がいつも感じている見えない線がここにも存在していた。

 この映画には戦場で息子を失ったひとりの母親がでてくる。この母親は息子を失ってはじめて戦争というものを知った。彼女は言った。

「息子を戦場に送ったのはビンラディンではない」

その時私は思った。この戦争の犠牲者はイラクの一般の人々だけではない。アメリカの一般の人々もまたそうなのだと。自国の利益とはいったい何であろうか。国民を犠牲にしてまで守らなければならないものとは何であろうか。それは自衛隊をイラクに送っている日本も同じだ。今すすめていることが本当にイラクの人々のためになることなのだろうか。またそれによって日本も潤うことがあるのだろうか。(これは精神的にです)今、もう一度考えなければならないのではないか。

 アメリカ人の監督も日本人の監督もマスメディアを利用して自分の考えを述べることができた。これは私たちに送られてくる偏った報道を修正してくれる大事なメッセージだ。華氏911やビート武の番組を見て、政治家ではなく映画監督などの文化人が世界のずれを矯正してくれればと強く感じた。

この映画を見て何かを感じられれば社会は変わっていくだろう。映画という手段を使って反戦をうったえているマイケルムーア監督を賞賛したい。

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