中にはいり搭乗手続きをする。 またいつものように窓際の席という。 おねえさんはにこにこしながら手続きをしてくれた。 まるで中国じゃないみたいだ!! 本当に中国、変わったわ! 荷物検査ではomiはボディーチェックもされなかった。 こんなんでいいのか。。 空港はもちろんそんなに大きくないが、それでもしっかり免税品店がある。 化粧品などはUSドルで値段が表示されていた。 おみやげものやもある。 あいかわらず高いか安いかわからないけど、空港だから絶対に高いんだろうな。。 ひととおりお店を見て、椅子にかける。 おそろいの上下のジャージをきている人たちがいて、何かのスポーツの選手達かあなと見ていた。 その時、行く時会ったおじさんに声をかけられた。 おじさんは空港までタクシーで来たのだが、150元かかったそうだ。 ホテルのまわりをぶらぶらしていたということだったが、なにかすご〜〜く旅を楽しんでいる感じだった。 アナウンスがあって飛行機にのる。 その前にトイレにいったがなんとトイレットペーパーがなかったのでそのまま飛行機に乗ってしまった。 トイレットペーパーやはり必需品です。 飛行機はなんとものすごく寒かった。 いや〜〜寒すぎないか。。 エアーホステスに 『ブランケットほしい』 といったが、もうないといわれた。 もうすぐ飛行機が飛ぶと暖かくなるからなんていわれたけど、我慢大会したくないし、しまったばかりのダウンのコートをひっぱりだして膝にかけた。 特に右のわさび!!日本語で書いてあるから油断したらとんでもない辛さだった! 隣にはさっき見たジャージをきた人たちのひとりの女の人が座った。 食事が終わるまで話さなかったんだが、どうしても何の選手か知りたかったので、紙をだして、 選手? と書いてその人に見せた。 彼女は??顔をした。 瀋陽→東京と書いたら 沈阻→東京と書いてくれた。阻は彼女は右側を日に書いたんだけどそういう漢字がない。。 いやいや同じことを書いているぞ!! 因みに東京はトンキンというらしい。 その後も卓球、試合、英語と言葉を並べるが通じない。 すると彼女は工作と書いた。 まままさかスパイ! のはずないか。。 で、 日本打工と書いた。 今度はこちらがわからない。 そうこうしているうちに、彼女は日本語を話した。 『私は研修で日本に行きます。 私は農民です。』 ああ!!! 研修生!! 日本語はなせるじゃない!! 『日本語を二ヶ月習いました。』 二ヶ月でこんなにパーフェクトな発音するんか!! で、彼女は書いた。尓住在日本?? 尓はにんべんに下には心がつく。 漢字がだせない! 意味がわかったぞ!! うなずくomi. なんとなく会話になってきた! 瀋陽で撮った写真を見せる。 ここで雪だるまが雪人とか、ひまわりの種が瓜子とか習った。 彼女は家族の写真を見せてくれた。 御主人と子供がいる。 この子と9ヶ月も離れて研修するんだ。。 彼女は書いてくれた。 ハンカォシュウレンスーイン。 あなたにあえてうれしい という意味だそうだ。
彼女は9ヶ月後には吉林省に帰るので遊びにきてと言って住所を書いてくれた。 いやいやその前にomiの家に来てもらわないと。 ただそうじしなくちゃな! で、お互いの住所と電話を交換した。 彼女はおばさんとomiのことを呼んだ。 まあいいか。 実際おばさんだしさ。 omiからしたら娘みたいなものですもんね。 omiはお互いのことをさしてパンヤオと言った。 パンヤオとは友達のことだ。 アンジェウクの歌にあるんだ。 よかった! アンジェウクのファンでこの歌の題名しっていて。 成田につくと彼女と握手をして別れた。 本当に日本で会えればすごいなと思う。 たった2泊3日の旅だったが。こんなに内容が濃くていいのかと思うほどだった。 なんていっても56年ぶりの大雪の中に行ったんですもん。 なかなかできることじゃなかったな! 瀋陽は本当に本当にいい街だった。 敗者復活戦の両親と一緒にまた行くと思う。。 |