トンイルチョンマンデにて。−北朝鮮を望む

束草へ

 1111日。朝時起床。いよいよ束草(ソクッチョ)に行く。

 5
時半に宿をでて受け付けに鍵を返すと、お兄さんがこんなに朝早くどうしたんだという顔をした。私は
「ソクッチョヘカヨ」(束草へ行きます)
と一応言ったが、お兄さんはわかったようなわからないような顔をしていた。エレベーターで下に行くようにいわれたけど、階段で行ったら成る程、鍵がしまっていた。自分で勝手に鍵をあけて外に出る。

 外はまだまっくらだ。人通りもまったくない。しかし裏通りの石畳の道がオレンジ色の街灯にてらされて異国を感じさせてくれる。宿の隣はソゲサという大きなお寺で朝からお経の声が響いていた。大通りからチョンノと反対側のアンコック駅に向う。本当にはじめて来たのかと思ってしまう程、よく道がわかった。アンコック駅の近くでは朝から清掃のおじさん達が落ち葉をはいていた。これだけのイチョウ並木だから落ち葉の清掃だけでもたいへんだろう。

 ソウルの地下鉄は時半頃から走っているらしい。地下鉄はもう営業しているかとちょっと心配だったが、階段をおりていくと、切符売り場におじさんの顔が見えたのでほっとする。昨日買ったキョトンカードをさっそく使う。しかし使い方を聞こうにも近くには誰もいない。結局切符売り場のおじさんに
「オットケソヨ?」(どうやって使うんですかーと聞いたつもり)
とたずねると、おじさんは手のひらにカードを押し付ける動作で使い方を教えてくれたのでなんとなくどのようにするのかわかった。このカードは磁気がはいっていて金額がなくなると途中で補充していくことができるらしい。よく見ると改札口にそのカードをのせて通るという絵が書いてあった。そこにカードをのせてみるとバーをたおすことができた。使い慣れるとこれでバスにものれるし、いちいち値段をみなくていいのでとても便利だ。

 アンコック駅のホームはひとつだけでコソクポストミナル(高速バスターミナル)へ向うホームをチェックした。地下鉄はすぐ来た。人もちらほら乗っており、やはり朝早くから地下鉄を使う人がいるのだなあと思う。

 ソウルの中心街を抜けると地下鉄は一度外に出た。そして漢江の鉄橋を渡りはじめた。もちろん外はまだ真っ暗でその中、無数のオレンジ色のライトが遠くの方でゆらゆらとゆれており(雨のせいだと思う)、河にそって車のライトがゆっくり動いていて、その美しさに息をのんだ。これはカメラでは絶対にうつせない景色だ。トミノルの駅が近くなると地下鉄は再び地下にはいっていき、乗客も多くなってきた。

 ソウルのコソクポストミノルは韓国の旅行手段の要といっていいと思う。国内の移動は列車よりもバスの方が便利にできており、値段も安い。

 ソクッチョへ向うバスをめざしていく。駅をでてから地上のターミナルに行くまで何度もどこどこ方面はこちらという表示がでていてわかりやすかった。ソクッチョも漢字の束草という文字が明記されており、日本人には本当に便利だ。切符売り場は日本と同じような窓口になっていた。売り場のおねえさんに
「ソクッチョヘカヌンボスヌンミョッシエイッソヨ」(ソクッチョに行くバスは何時にありますか)
とたずねると
「ヨラッシサンシップン」(6時半です)
と教えてくれた。
「ハンジャンジュセヨ」(一枚お願いします)。
これで多分この日の一番最初のバスに乗ることができる。本当に会話がスムースにいったのだが、私は時間は5時のタソッシと6時のヨソッシしか知らない。それがテキストにでてきたからだ。だから6時台のバスの出発はラッキーだったのだ。
「オルマエヨ?」(いくらですか)
これもよくわからなかったが、最初のマンという発音がわかったので、2万ウオンをだした。料金は18千ウオン日本円にして2千円もしない。ものすごく安い!しかし何番乗り場か聞く時は突然英語になってしまった。テキストにない単語はまったく使えない現実である。バスは16番乗り場から出発。出発まで少し時間があったので、売店でくりのお菓子と飲み物を買った。くりのお菓子は日本のスーパーに売っているものとまったく同じで、もっと韓国らしいお菓子を買えばよかったと後悔した。

 韓国の長距離バスではウトンポス(優等バス)という超豪華なバスが走っており、ソクッチョに行くバスは90パーセント近くウトンポスという情報をインターネットで調べていた。実際一列に1-2座席のバスはものすごくゆったりしており、リクライニングを使うととても楽だ。

 時半のバスはおおかた満席にちかく、バスの下の荷物入れに荷物をいれる客も何人もいた。私はバスの中に荷物を持ち込み足下においておいた。私の席は後方のひとり席だ。このひとり席というのはまわりに気兼ねをすることもなくゆっくりできて最高だ。日本でもぜひこのようなバスをとりいれてほしい。運転手さんがまた
「オソオシプシオ」
といって前であいさつをして乗客の切符を集めはじめた。切符を半分きりとり、半券を返してくれた。また「安全ベルト」という単語のはいったことを言っていたので安全ベルトをする。私の前の人が突然私に何かいったのだが、
「イルボンサラミエヨ。モルラヨ。」(日本人です。わかりません)
と必死になっていった。その人はまた前の人になにか聞いていたからたいしたことではなかったのだ。座席の前の方には迷彩服を来た若い軍人さんものっている。外国人はどうやら私ひとりらしい。


高速バスのチケット(右側がソウルからソクチョへ、左はソクチョからソウルへ)
 バスは定刻どおり6時半に出発した。外はまだ真っ暗で街灯のオレンジの明かりが雨の中光っている。走りはじめるとすぐに何か放送があって、電気が消えた。みんなリクライニングをたおして眠りはじめた。まるで深夜バスのようだ。私もいつのまにか眠ってしまった。

 起きてみると外は明るくなっており、バスは高速道路を走っていた。外の紅葉がどこも美しい。しかし雨が時々強く降り、写真を撮ることはできない。ユーミンの曲を聞きながら、ぼっと外をみているとソサとかかれた休憩所の前を通り過ぎた。
「あれ、ここで休憩するのではないのかなあ」
ネットで旅行記をながしている、マッシーさんの情報ではここで休憩なんだけどなあ。トイレどうしよう、と心配だ。すでに2時間が経過しており、このままソクッチョまでつっぱしる気なんだろうかとあれこれ頭の中で考えてしまう。しかしさすがに4時間もバスが走り続けることはなく、次ぎの休憩所のピョンジャンで止まった。

 外は相変わらず小雨が降り続いている。英語で15分の休憩といっていたので、トイレに行った。はっきりいって日本の高速道路の休憩所だってトイレがきれいだということは期待していない。しかし韓国の休憩所はトイレを含めてとてもきれいだ。特にトイレがきれいだというのはとてもありがたい。造りは日本の高速道路の休憩所に似ており、食事をできる場所とコンビニエンスストアもそなわっている。

 ネットの情報だとバスをはなれる時は同じバスが何台も止まっているし、休憩中に移動することもあるので、ナンバーをひかえていった方がいいと書いてあったし、バスの英語の放送でもナンバーをみておいてくださいと言っていた。しかし迷う程バスはいなかったし、シーズンオフのウィークデーの為か休憩所自体がすいていた。バンをのりつけて、カセットテープを売っているお店があってこれはちょっとおもしろかったので写真を撮っておいた。
ウトンバス 高速道路休憩所
 バスは再びはしり続け、海が見える頃に高速道路を降りた。この海は日本海なのだが、韓国ではトンヘ(東海)と言う。このトンヘに沿って北上し続けヤンヤンという少し大きな街についた。ここには飛行場がある。ここで降りた人も何人かいた。道ぞいに時々旅館があるのでこのあたりは夏になると観光客でにぎわうのかもしれない。

 雨は断続的に激しく降り、海の波も荒い。これで統一展望台に行けるのか心配だ。ヤンヤンからさらに北上していくと、時々彫刻やモニュメントのようなものがある。線もこのあたりなのだろうがバスの中からでは確認できなかった。ソクッチョは韓国で線を越える唯一の大きな市である。私達が普段いっている国境の意味の38°を越えることになる。

 バスの放送があり、ソクッチョが見えて来た。想像していたよりもずっと大きな市である。「秋の童話」でみると本当にひなびたところのような気がしていたのだが、大きなビルやマンションが立ち並らぶ街がそこにはあった。



ソクッチョコソクポストミノル
 バスはコソクポストミノルに着いた。トンイルチョンマンデ(統一展望台)に行く前に今夜の宿を探さなければならない。ターミナルの近くの宿がいいと思い、地球の歩き方にのっているモーテルとネットのマッシーさんのおすすめの宿を探した。このマッシーさんのおすすめ宿エギョンはターミナルの裏にあり、なかなか清潔そうだ。そしてすぐここに決めた。
「アンニョンハセヨ」
とはいっていくと私と同じ年ぐらいかもう少し若そうなおばさんがでてきた。
「ピンパギイッソヨ」(空き部屋ありますか)
と聞くと、ものすごく不思議そうな顔で
「ネー」(はい)
と答えた。まだそういえば12時前だし。この人はこんな時間にきて何をするんだろうとでも思ったんだろうか。とにかく部屋代4万ウオンをはらって渡されたキーを持って5階の部屋にいく。部屋はマッシーさんが書いていたとおりとてもきれいだ。

 荷物をおいてすぐにまた下にいく。さっきのおばさんを呼んだがなかなかでてこない。とにかくオフシーズンであることは間違い無かった。紙にでかけることを書いて行ってしまおうかと思っていると、上からおばさんが降りてきた。
「トンイルチョンマンデヘカヨ。」(統一展望台に行きます)
この場合カヨではなくてカルコエヨとかもっと適当な言い回しがあると思うのだが、そんな文法事項にこだわっている時ではない。とにかく自分の意志が通じればそれで十分なのだ。おばさんはやっとにっこりして。
「アートンイルチョンマンデネ」
と言った。ここでやっと私が旅行者だと確認できたと安心の笑みだったように思える。



ソクッチョ市内1

ソクッチョ市内2
トンイルチョンマンデ(統一展望台)  ターミナル横の観光案内所の小さなブースでソクッチョの市内地図をもらい、トンイルチョンマンデの行き方を教えてもらった。
「トンイルチョンマンデヘカゴシップンデヨ」(統一展望台に行きたいんですけど)
するとお兄さんはイルボン(一番)のバスに乗りなさいと教えてくれた。これがこの先、頭の中に混乱をきたすことになる第一歩だった。ガイドブックにはまず7番のバスで市内バスターミナルへ行き、そこから1番のバスで大津(テジン)まで行くと書いてある。テジンまでは4000ウオン。私はこの1番のバスも市内バスターミナルへ行くのかと大きく勘違いしてしまった。(しかも後でよくガイドブックを見てみるとこの4000ウオンというのは統一展望台の入場料とバス代だったようだ)

 バスはすぐに来た。雨もこの時はちょうどあがっておりラッキーだ。バスに乗りおじさんに
「シネポストミナル」
というとおじさんはオディなんとかかんとかと言った。オディというのはどこということだから、目的地のトンイルチョンマンデと答えるとこのバスで大丈夫みたいなことをいってくれた。
「オルマエヨ」
するとバスにはってある表をさしながら、またなんじゃらかんじゃら。どうせ市内バスターミナルまでだから千ウオンもしないだろうと500ウオン硬貨をだした。するとおじさんは違うという。またなんじゃらかんじゃらといいしかもその中に「べ」という単語があったような気がした。

 この旅行中の最大のパニックがこの料金だったのだが、次ぎの停留所で乗ってきたおばさんが千ウオン札をだしたので、えっと思い私も千ウオン札を出すと、おじさんはこれが3枚だという。ここでおじさんの発音がようやくわかった。サンチョサベといっていたのだ。3300ウオン。おじさんは何回言っても私が理解しないので、最後はサンチョといってるだろというような感じで声をあげていた。そんなこといってもガイドブックのどこにも3300ウオンという数字がなかったから無理なんです。と言いたかった。

 私はなんで市内バスターミナルまで330円もするのだろうと思い、きっと外国人だから高い料金をいっているのかもしれないとまで思った。しかし最初になんやら見せてくれた表はいったいなんだったんだろう。330円でここまで悩まなければならないのもつらいが、私はいったいどこに向っているのだろうという不安がおしよせた。



市内バスのバスストップ

バスはソクッチョの市内を走り続ける。この街もやはりイチョウ並木だ。バスの進行方向に向って右手に海が見えている。右手に海が見えているということは北に向っているということである。やがてバスは市内らしきところを通り抜け郊外にでた。乗客が乗ったり降りたりなかなか利用客の多い路線だ。

 このあたりまできて私は覚悟をきめた。どこか途中で乗り換えの仕方を教えてくれるだろう。そう思うと郊外の景色も楽しめる。バスは時間以上走りつづけ、田舎の町の中を抜けたり、漁港をはしったりした。国境が近いはずであるが、家も商店も多く、ごくごく普通の田舎の光景が続く。

 ところが時間を過ぎたあたりから辺りがだんだんものものしくなってきた。まずものすごい軍用車の列が一般道路にでてきた。銃をかついだ若者がぎっしり乗っているトラック。雨が降っているのに屋根のホロしかついていない。横から雨がふりこんでくるのに誰ひとり身動きしない。自分の息子と同じぐらいの年の子達がこのような任務についているのだ。それも兵役という自分の意志にはかかわりない方法でこの仕事をしなければならない。(その時はそう思った)そのような任務に息子をつかせなければならない母親のことも思った。自分がこのようにひとりで旅行しているのも息子達がとりあえず今なんとかやっているという元で成り立っている。もし息子が兵役中だったらこんな旅行などしていないのかもしれない。

 そして何十台もの戦車の列。こんなに戦車が並んで走っているのをはじめてみた。あまりの光景に今日から戦争がはじまったのかとさえ思った。このような軍事関係の写真はとってはいけないことになっているが、私はそれよりもあまりの迫力にこの時写真の存在を忘れてしまっていた。この軍の列は



ソクッチョからトンイルチョンマンデへの道

道路封鎖のための柵が見える。 道沿いのブロックは有事の時に道を封鎖するもの。

 バスは何ごともなく北へむかっているし、乗客もいつものルーティンワークでバスを乗り降りしている。しかし道の横に大きなブロック塀がでてきたり、(これは北朝鮮がせめてきた時に道を封鎖するもの)道を閉鎖したり検問したりするための柵があったり、海にも鉄条網がはりめぐらされ、私が見ると普通ではない状態だ。ものすごくのどかな田園風景にまったくマッチしないこのような情景をみて、やはりこの緊張がはやくとけてほしいと思った。

 バスはどんどん走るが運転手さんは何も言ってくれない。途中、行商のおばさん達がバスに乗る時、テジンと言ったのを私は聞き逃さなかった。
『このバスはテジン行きだったんだあ』
とやっと安心する。しかしなぜ千ウオンじゃなくて3300ウオンなんだろう。まだ不可解であった。おばさん達は私の前後左に陣取り大きな声で話しはじめる。もちろん何を言っているのかわからない。でも日本でも地方に旅行に行くとこのような場面にでくわすことがある。雰囲気がなにか日本と似ているなあと思った。

 おばさん達がひとりふたりと降り、最後に前に座っているおばさんと私だけになった。途中の道路標識でこの方向がトンイルチョンマンデ方面ということは確認できているが、この時点でもどうなっているのかまだよくわからない。するとはじめて運転手さんがなんやらかんやらと話しかけてきた。私がわからないですという顔をすると前のおばさんが傘をとりだした。ああ、傘を持っているのか聞いたのだ。私も傘を見せると、おばさんが
「インヌンデヨ」
と言ってくれた。その直後バスは終点にきた。運転手さんはあそこに行けと事務所みたいな所を指差した。
「えっ?ここってトンイルチョンマンデの案内所じゃないの」
とびっくりした。ガイドブックでもネットの旅行記でもバスの終点から20分程歩いて案内所に行くとなっていたからだ。

 運転手さんは特別大サービスでその区間もバスでつれてきてくれたのだ。(ついでに前のおばさんも来たところがなんともいえないが)この運転手さんがものすごく親切だということを私は不覚にも最後に知ってしまった。
「コマプスムニダ」
といってバスを降りる。


左はソクッチョ方面右はトンイルチョンマンデ方面

トンイルチョンマンデの案内所は雨も降っており閑散としていた。バスの切符を買うような窓口があったので「トンイルチョンマンデカゴシップンデヨ」
と言うとおねえさんが近くの観光案内とかかれたブースにいくように言う。そちらへはいっていくとそこにいたおねえさんが何と日本語で応対してくれた。
「ちょっと待っててください」
といって雨にぬれてさっきの切符売り場の方へ走っていき、手続きの用紙をとってきてくれた。日本でこんなに親切にしてくれる案内所があるだろうか。手続きはものすごく簡単で、用紙に氏名と住所とパスポートナンバーを書き込めばいい。そしてここで4000ウオンをはらった。2000ウオンが入場料で2000ウオンがトンイルチョンマンデまでのバス代だ。(これがガイドブックにのっていた4000ウオンだった)
「バスは1時に出発です。道を渡ったところの黄色いバスに行ってください。」
と教えてもらった。

 時間があったので案内所の中にはいる。日本の田舎の観光地のおみやげものやのような感じの所だ。そういえば朝からちゃんと食事をしていない。日本と同じような食堂のカウンターにいくと、ハングルでウドンとかかれたメニューがあった。そこでウドンを食べてみる。これってまったく日本のウドンだった。違うところはたくわんがついているところかなと思ったりしたが、たくわんも日本と同じ味だった。雨も降っており寒かったのでこのウドンは体をあたためるのにちょうどよかった。

 この案内所には自家用車で来てここで手続きをしてトンイルチョンマンデに行く人もいる。あまり多くはなかったが、自家用車組も何組かいた。その人たちがどんどん出て行くなか、私はまだ時間があったのでおみやげものをみた。北朝鮮のたばこやお酒も売っている。北朝鮮のビデオもあった。なにか不思議なかんじだ。私もソクッチョから唯一いける北朝鮮の観光地、金剛山の絵葉書を買った。
トンイルチョンマンデ案内所 日本語の案内が受けられるブース
                                 
時5分前になったが、黄色いバスには運転手が来ない。乗客もいない。私は間違えているのかと思い、もう一度確認するが黄色いバスだと言う。そこで2分程前にそのバスの前に行った。外は運悪く雨が降り出している。そして 1時を何分かまわった頃、一台の黒いバンがのりつけてきた。本当の田舎のおじさんがでてきて
「タヨタヨ」(乗って乗って)
という。どうやら観光客は私ひとりらしい。私が助手席に乗り込むと、そのおじさんは
「シクッサ」
といって食べるまねをしてにこにこしながらどこかに行ってしまった。車にはキーをつけっぱなしだし、いったいどうなっているの。

 10
分程するとおじさんが戻ってきて
「さあ行こう」
と車をだした。
「本当に大丈夫なんでしょうね」
とまた思う。ここからトンイルチョンマンデまではすぐなはずだ。途中大きな検問をしていたが、このおじさんは兵隊さんに手をあげてあいさつすると、向こうも手をあげ、車も止めずに行かせてくれたので、やっぱりこのおじさんは係りの人なんだと思った。トンイルチョンマンデは海の近くの高台に位置している。駐車場をおりて長い階段を歩かなければならないはずであったが(現に乗用車の人は長い階段を昇っていた)このおじさんは当然のように一番上の建物まで車でいってしまった。一番高いところに位置する建物の前でおじさんはここだここだと指差し私をうながす。
「チュルパルヌンミョッシエヨ」(出発は何時ですか)
と聞くと紙に10分と書いてくれた。
トンイルチョンマンデの入場券
 この建物の中は1階には北朝鮮の紹介を好意的にしてある展示がある。北朝鮮のランドセルや教科書もあった。教科書はわら半紙のような紙でできており、みるからに貧弱だ。でもこれを使っている子供達は勉強しようという真剣な気持ちが強いのだろうなと思った。

 2階は展望台だ。今来た駐車場の方向の丘にはトンイル(統一)という文字が大きくかかれている。反対側は非武装地帯から北朝鮮の方向である。テラスにでることができるが、この時は雨がかなり降っており、写真を撮ってすぐ中のガラスばりの展望台に戻る。本当はここは撮影区域が限られているのだが、みんなおかまいなしにぱちぱち写真をとっていた。

 窓の下にはおおきな写真があり、そこに赤字と白字で北韓(北朝鮮)、韓国の地名がかかれている。それと対比しながら、実際の景色をみるとだいたいあのあたりから北朝鮮だということがわかる。思ったよりも非武装地帯が大きく、北朝鮮は山しか確認できなかった。晴れていれば海がものすごくきれいな所なのだろうがあいにくの雨で残念だ。

 今までソウルを含めて日本人に会わなかったが、ここではじめて日本の人達を見た。この人達は一般のバスにはいなかったから自家車組だったのだろう。

 再び1階に戻り、外にでてみる。右手の海側に遊歩道があり、そこを降りていってみた。大きな観音様が北朝鮮にむかって手をあわせている。これが韓国の人の気持ちなのだと思う。ここにははっきりと撮影禁止の看板がたっていた。展望台の建物の下には戦闘機と戦車がおいてあり、これが先程の観音様と対照的だと思った。ひととおり見終わり、そばの売店で雨宿りをする。ここも案内所と同じようなお店だった。
展示してある写真。赤い字の場所が北朝鮮。
真ん中にある島は韓国領土。
北朝鮮に向いている観音様
統一と書かれている。 撮影禁止の看板


約束の時間になりおじさんが戻ってきた。車にのると絶対に地元のおばさんと思われる人がなんじゃらほんじゃらと笑いながら車にのりこんできた。おじさんは私とこのおばさんを乗せて案内所に戻ると、思った。しかし展望台のすぐ下の建物の前で止まって
「ファジャンシル」(トイレ)
と言った。そうなんだ。私は上でトイレに行きたかったのだが。簡易トイレだったから行かなかったのだ。こんなところにトイレがあったんだ。おじさんより先に私は車を降りてトイレに行った。よくぞここで止まってくれたという気持ちだ。トイレにいっている間におばさんはどこかに行ってしまった。要はおばさんは雨の中、階段を使って下まで降りてきたくなかったのだ。

 おじさんは再び快調に車を走らせる。対向車もよくくる道の真ん中を走り、カーブの下り道をきもちよく飛ばしてくれた。途中、軍のジープまで抜かしてくれた。よくこれで対向車とぶつからないなあと感心してしまった。おじさんは
「ポス?」
と聞いたので、私は
「ネー。ソクッチョヘカヨ。」
と答えた。すると先程の案内所の前で一度クラクションをならし、そのままそこを通り越して歩いて20分のバス停まで送ってくれた。このおじさんもものすごく親切なんだとまた感動する。降りる時
「コマプスムニダ。カムサムニダ」
とお礼をいった。

ここのバス停は来る時はわからなかったがものすごく小さな建物がある。その中にはいって
「ソクッチョヘカゴシッポヨ。」
と言う。だいたいそれで通じてきたのだが、そこのおにいさんは何かを指差した。私は後ろの時刻表を見ろといっているのかと思ったら、声を大きくしてなんじゃらほんじゃらとまた言う。すると横のおじさんが時刻表の前にいるおじさんをさして運転をするまねをした。ああこの人がドライバーか。しかもそのドライバーはすぐ外にでていったのであわててついていった。その時わかった。案内所のおじさんはこのバスの出発に合わせて時間を決めてくれてここまで送ってくれたんだ。言葉がわからないのにこんなに親切にしてもらってとまた感激した。

 ドライバーにソクッチョの地図をみせて
「ウッチェック(郵便局)に行きたい」
と言った。すると
「ああシジャンか(市庁舎)」
といったので
「ネー」
といっておく。シジャンの隣が郵便局なのだ。乗客が誰もいなかったので、一番前の席をとり、時々写真をとった。

 
 ソクッチョ市内に戻ると運転手さんがここがシジャンだ、と降りるところを教えてくれた。雨は幸いなことにやんでいる。シジャンのとなりの郵便局(ここはソクッチョの中央郵便局になる)にはいり、持ち歩いていた絵葉書をだすことにする。日本、香港は350ウオン。なんと前の夜に10枚以上書いたので、この切手をそこではらなければならなかった。日本のように切手用の水はなさそうだ。これは時間がかかると思い、とりあえずもう10枚、今夜書く絵葉書分の切手を買って外にでた。



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