ワンチャイ環境中心



早朝の散歩(ワンチャイ〜バンブーグローブ)

2泊3日の旅というのは忙しい。3日目の朝。やはり早起きをした。6時ごろになり、

「ワンチャイからバンブーを散歩してくる」

というと母も行くという。バンブーグローブというのは私達が2番目に住んだフラットのことだ。この金鐘から歩いて15分ぐらいのところにある。このワンチャイの一角はものすごく懐かしい場所である。ワンパシフィックプレイスからクイーンズロードイーストに抜けると街がいっぺんする。小さな商店が並び、小道をはいると屋台に店をだしている露天商が連なる。朝早いせいもあって店を営業しているところはなかったが、道に飛び出ている看板や昔からのビルが香港らしさを強調している。大王というお寺も道に面しておりそのままだ。ホープウェルセンターの前の広場はそのままだが、昔あった永安(ウィンオン)というデパートはなくなっていた。ここの7階と61階に飲茶のレストランがあったはずだったが、どちらもまだ営業しているのかどうかはわからない。


クイーンズロードイースト
ホープウェルセンター付近

右上は大王 右下はホープウェルセンター前
左上はホープウェルセンターの横の階段から
左下はホープウェルセンター横の階段
(バンブーグローブに通じている)


バンブーグローブはクイーンズロードイーストではなく一本山側のケネディーロードに面している。普通クイーンズロードから行くときはホープウェルセンターのエレベーターで17階まで行くとケネディーロードに抜けられるのだが、朝はやくまだ1階から3階まで行くエスカレーターも動いていなかった。ホープウェルセンターの横の階段を登る。横に小さな溝があり水が流れている。

「ああそうだった」

とまた思い出した。

このように小さなことはすっかり忘れてしまっているが、歩くにつれて思いだす。階段の途中で左に抜ける道があり、ここが近道だ。登りきると日本人小学校のバスストップになっていた場所にでる。昔はここにマンゴの木があったのだが、今は葉が生い茂っておりその木があるのかどうかわからなかった。ケネディーロードのバンブーのあたりはあまり変わっていないが、バンブーは外壁がきれいになっていた。となりのアンバーガーデンも外壁工事中だった。


ケネディーロード

 キンネイテイトーチョクラムユン。これがケネディーロード、竹林苑の広東語にあたる。

ここは道路の反対側から車がはいり、道路の上を交差してフラットにはいるようになっている。しかも地下は3階か4階までが駐車場でその上にあるフラットのプレイグランドは外からは見られない。母は上まで行こうと言う。そういっても許可をもらうのは私だ。外のガードマンに上に行ってもいいかというといいと言う。

まずは上の玄関まであがる。ここにはジムがあるがそこもきれいになっており、朝はやいのでまだ誰も使っていないが、なかなか快適そうだ。息子が小さいときはここのジムで体操教室やミニテニスを習っていた。

ここの階の上が広くて長いプレイグラウンドになっている。このジムからエレベータで上に行くことができるのだが、朝はやくエレベータは止まっていた。しかたがないので玄関にまわり坂を登って上の階に行く。

プレイグランドも手入れがされておりきれいになっていたし、プレイグランドから通じるフロアもきれいになっていた。ここから階下の景色は昔のままだ。近くのパッタイミュードーというお寺は工事中だ。このお寺も100年以上の歴史がある。このプレイグランドでは息子達がどれほど遊んだか。またここのプールでは学校から帰ってきてから泳ぎ、晩御飯を食べてからまた泳ぎ夏は夜9時ぐらいまでプールにつかりっきりだった。かえってきてシャワーをするとすぐに寝る。そんな生活は日本では考えられない。このような贅沢な時間をここでは過ごしたのだ。


竹林苑(バンブーグローブ)


 バンブーからケネディーロードを下っていくと鳳凰木が赤い花をつけていた。確か香港日本人学校の小冊子にこの木の名前がつけられていたような記憶がある。

ケネディーロードからクイーンズロードイーストにはいるところにEnglish Methodist Churchがある。ここの教会には香港に住むようになってからすぐに息子のプレイスクールで通いはじめた。広い遊び場がありおもいおもいにおもちゃの車にのったり絵を描いたりする。夏は水遊びもできた。最初のころの友達はみんなここで知り合った。外壁は昔のままだ。大きな木のドアもそのままだ。

バンブーに住んでいたときにこの近辺のことを息子の社会の勉強で一緒に調べたのだが、ここの教会は当時、ちょうど100周年をむかえており、教会の歴史がかいてある小冊子をその時、手にいれることができた。この教会は設立当時はイギリスの船乗りのために作られている。イギリス人のほか、一人の日本人も創設に携わっていたらしい。しかしこの小冊子を書いた方がそのときすでにイギリスに帰られており、その日本人の名前はわからなかった。この歴史にはものすごく興味をひかれたがそれ以上のことはわからないままである。



イングリッシュ・メソジストチャーチ
右上はバンブーグローブからの眺め、2段目は鳳凰木

    

メソジストチャーチから2分ぐらいのところにワンチャイ環境中心という建物がある。ここは昔、バンブーに来たころは現役の郵便局だった。小さな外階段があり、白い外壁で木造のものすごく古い内部になっていた。息子は一度日本の雑誌にロケットの絵を投稿したことがあり、それが入賞してここの郵便局止めで賞品が送られてきたことがある。実際にこのように使っていた郵便局は今は香港にある一番古い郵便局の建物として保存されているのだ。今は中はきれいにされて環境に関する資料館になっている。

ここからごちゃごちゃした小さい裏道を通ってトラムの道に抜ける。100年前はワンチャイの3本の通りといえば、クイーンズロードイースト、ケネディード、そしてさらに山側にあるボーエンロードだったらしい。ボーエンロードは今は山の中腹を通る散歩道になっている。

それよりも海がわ、特にトラムが走っている道よりも海側は埋立地が多い。トラムの道よりも山側は山のふもとまでごちゃごちゃとした店が続いており、道も入り組んでいる。この道を見ていると香港の歴史がわかる。この小さな裏通りは朝はやいために店を営業していないが、おもしろい店が満載だ。蛇やや靴下だけを売る露天商などもあった。何回もこの付近は通ったがまだにぎわう前の早朝の街を通るのははじめてだ。静かでこんな香港もあったのかと思った。

トラムの道から金鐘へ戻る。途中、昔チャイニーズメソジストチャーチがあった建物の横を通る。ここもレンガのつくりで古い建物だったが、私たちがまだ住んでいるときに取り壊された。


左 :昔のチャイニーズメソジストチャーチ
右 :ホテル前のクイーンズロードイースト


 朝はやくの散歩でもやはり香港は暑い。湿気がすごい。これからパッキングをしなければならない。前日の夜に少しつめたが、どんなにがんばってもスーツケースにははいらないことは明らかだった。そこでフロントでスーツケースを売っているところがわかるかと尋ねるとワンパシフィックの中のかばんやを教えてくれた。朝まだ8時前だったが、10時にはペニンシュラホテルに判子をとりに行かなければならないし、その前にパッキングをすまさなければならない。そこで一応、そのかばんやを見に行く。ウィンドウーの外から見たスーツケースは立派で高そうだ。これはまずい。そこで統一中心の方のビルに向かってなんとかならないかと思っていると、パークンショップ(香港のスーパー)をみつけた。そこに乗り込んでいき、

「ダンボールが欲しい」

と頼んだ。お姉さんは愛想はよくなかったが、ちょうどいい大きさのしっかりした段ボールをだしてくれた。これで十分。

「テープはありますか」

と尋ねると

Buy?

と聞かれた。そりゃ、テープまでもらうわけにはいかないでしょう。いくらずうずうしくても。おねえさんはテープのある場所に案内してくれたのでお礼を言い、テープとひもを買う。

 朝はやくダンボールとパークンの袋をさげて歩いていると、ワンパシフィックプレイスからホテルにはいる入り口で車椅子に乗った品のいいお婆さんとそれをおしている中国人のお手伝いさんに出会った。その方達もコンラッドにはいっていった。エレベーターを待っていると、

「シューチェ(店員さんやお手伝いさんに対する呼びかけ)、国に荷物を送るの?」

といわれた。完全にアマさん(お手伝いさん)に見られている。私がエレベータで52階を押すと、

「ああパッキングするのね」

といわれた。これもやはりお手伝いさんがパッキングすると思っているんだろうなと思った。まあほとんどかわりはないですがね。彼女たちはグランドフロアで降りた。これ以上会話が続かなくって何よりだ。


もらってきたダンボールを組み立て、荷物をまとめ、カオルーンサイドに向かう。地下鉄で行こうかスターフェリーに乗ろうか。迷いどころだが、スターフェリー乗り場まで歩くことにした。金鐘からはビルの中をうまく通ってスターフェリー乗り場のかなり近いところまで行くことができる。ちょうど日曜日でフィリピン人のアマさんたちがあちこちにたくさん集まっていた。バンクオブアメリカのビルが工事中で外の囲い壁に昔の香港の大きな写真が貼られていた。そこで写真をとる。



スターフェリーを降りたところのマガジンスタンドを見てみると、あったあった。日本の漫画の広東語コピー版が。しかも最近読んだ二十世紀少年の16巻がある。30ドルというのは高いがおもしろいから買った。50ドルだすとコインを3つくれた。10ドルのコインは昔なかったため、私にとってはとても使いにくい。一瞬どうして10ドル札がないんだろうと詰め寄ったがよく見たら10ドルコインで反対に売り場のおばさんに指をさされて文句を言われた。

スターハウスの前に小さなスーツケースがいっぱいあった。値段は99ドル。これってすごく便利そうだ。帰りにもやはりスターフェリーで帰りここでこのスーツケースを買うことにする。やはりダンボールよりいいかも。

 ペニンシュラのタンズに行くと、ちょうど頼んであった判子を袋にいれているところだった。姪のは箱に印鑑と朱肉がはいるようになっている。息子たちのはチャイナ模様の袋にいれてある。どちらも実印にできるようにフルネームで彫ってもらった。これは地球の歩きかたの30パーセントオフというのを使った。今回の買い物のなかでは一番値のはるものであったがなかなか気に入った。昨日はいなかったこの店のご主人が新聞を読んでいた。ガイドブックにもよく載っている方である。なにか有名人に会ったような感じがした。

 


 スターハウスで99ドルのスーツケースを買い、からのスーツケースをがらがらとひっぱってまた歩いてホテルまで戻った。部屋でいそいで段ボールからスーツケースに荷物を詰め替え、再度忘れ物がないかチェックをする。ホテルの便箋も絵葉書ももらったしと確認して、荷物をもって下に下りる。12時に下にバスが迎えにきてくれることになっているので、少しはやめにチェックアウトをしておきたい。荷物なんか電話で頼めばいいのに、母はこういうところは強引だ。

「みんなで持っていけばいいでしょ。」

このみんなの分担が非常に不公平である。なぜかスーツケース2つとボストンバッグが私にまわってきた。だから頼もうと思ったのに。。。。ラッキーなことにホテルのフロントの人がエレベーターに乗っていて

「えっ!自分たちで持ってきたの?」

と言い、すぐにボーイさんを呼んでくれた。この荷物とは関係なく両親はさっさとロビーに行く。母を呼んでも聞こえない。まったくなんなんだ。結局、母をつかまえてボーイさんにチップを払うようにいい、私はチェックアウトをするためにフロントに行った。このあたりで私はかなりきれていたんだけどそれを言うとまたたいへんだ。とにかく何事もなく旅を続けるように超がんばってしまった。

 フロントが空いていたので、時間が余った。集合時間まで20分ほどある。母がこの時言った。

「時間があるならやっぱりロックポートの靴を買いたい」

だから昨日買うように言ったでしょ。(ここで私は自分のテンションがあがるのを感じる)しかしこのように言われて買わなかったらそれこそ後が大変なんだ。そこで地下のショッピングモールに行く。ロックポートでは男の店員がものすごく丁寧に接客してくれたけど仕事が遅く、またいらいらとした。しかも母は

私にも自分の靴を買うことを強要した。ほとんどため息ものだが、まあこんな時じゃないと靴も買わないかと、とにかく自分の靴も買った。それを持って上に行くとJCBの方が来ており、ここが最後でみなさん待っていますと言われてしまった。しかしバスに乗り込むと約束の12時前だったので、ほっとした。


JCBのおじさんによると、ディズニーランドは来年オープン予定で、まもなくマカオまでの高速道路もできるということだ。

マカオまでの高速道路!

まるで夢のような話だ。ほとんどが海の上を走るこの高速道路はいろいろな国からの出資で造られているそうだ。マカオにはよく行った。毎年3回は行っていた。そのたびに乗っていたマカオフェリーがなくなると思うとものすごく寂しい。マカオフェリーのなかで息子たちはよくカップラーメンを食べた。この船に乗るとカップラーメンを食べるのがしきたりというように食べていた。インスタントくじもやった。一度など隣にちょっとおかしな日本人の旅行客のおじさんが座っていたのだが、その人がインスタントくじをやると息子はその人の手を覗き込むように見ていた。おかしな日本人のおじさんはもっとおかしな日本人の子に閉口したが、あっちに行けとも言えず困っていた。この日本人を困らせたのは息子ぐらいだろう。本当に思い出いっぱいのマカオフェリーだが、時代がどんどん変わっていくのだなあと思った。


空港に着くと全日空組とキャセイ組とに分かれてJCBのおじさんは案内してくれた。キャセイ組は私たちだけだったが最後まできちんと対応してくれて気持ちがよかった。

ここの空港もとても広い。しかし免税店の品物はみんな高い。しかも免税店をぶらぶらしているとなぜかマンダリン(北京語)で説明された。最近は中国からの旅行者も多いそうだ。ペニンシュラのチョコレートもここにある。何も街で買うことはない。ここでしか売っていないのは栄華の月餅らしい。昔とかわらない缶にはいった月餅をみつけた。本当は中秋節の前だけ、町の中で売り出されるのだが、空港では一年中、売っているのだ。WHSmithというイギリスの文房具や(本屋)もある。雑誌類はビニールで覆われており中がわからないが、映画の雑誌を一冊買った。

 時間があると思っていたが、間もなく搭乗の時間になった。最初は韓国モードだった頭もこの3日ですっかり香港に戻り、本当に懐かしい旅行ができた。ソウルを飛び立つ時に感じたようなぐっとくるような気持ちはまったくなかったが、何回も香港を往復しているので、そうなってしまったのかもしれない。香港にいるのに息子がいないというのははじめての経験だった。少しづつ時代が動いていっていると感じる。しかし自分の中にある香港は今までのままだ。それを再確認できてよかった。父はもう一度香港には来たいと言ってくれた。私はたぶん一度だけでなく今後、何回か香港便の添乗員を勤めると思う。

 

香港旅行記のトップページに戻る


inserted by FC2 system