カオルーンサイドから香港島を望む
早朝のビクトリアパーク〜ロンワーファーユンへ 2日目。5時半起床。起きたとこ勝負と思ってはいたが、やはり母は習っている太極拳を本場でやりたいという。6時に2人でタクシーでビクトリアパークに向かった。 「ちゃんと写真機を持っていってよ」 と念をおされた。最近は旅行のときはどんな場合でもカメラは手放さなくなった。しかし太極拳のためにフィルムを1本使うとは思っていなかった。母はこの10年ほど、家の近くの太極拳のグループにはいっている。なんの賞状か知らないけど賞状ももらってきている。 ビクトリアパークの近くのパークレーンホテルでタクシーを降り、道路をはさんだビクトリアパークに行く。あちこちで太極拳のグループがおもいおもいに楽しんでいるが、そのなかでも一番大きなグループの後ろに母はなにげなくはいっていった。私はいろいろ角度をかえて写真を撮ったが、近くのおじさんはじろじろ見るし、今にも雨は降ってきそうだしあまりいい条件ではなかった。しかし母はそのようなことはおかまいなしにおもいっきり太極拳を楽しんでいる。ここまで自分のやりたいことを楽しめればいいわというのが娘の感想です。 |
ビクトリアパークの太極拳 | ビクトリアパークからパッコウ方面をのぞむ |
母が太極拳をやっている時に近くを一回りしたが、バス停の近くでブラピの「トロイ」の映画の看板があったので写真を撮っておいた。ビクトリアパークの近くはパークレーンホテルやウィンザーハウスなどの建物が昔のままだ。北側に新しいきれいな建物があったがその他は高速道路も昔のままだったので懐かしかった。息子が小さかった頃この公園ではよく遊んだ。街の真ん中にこのような公園があるというのはいいものだ。 |
いいかげん太極拳をやるとまあこれでよいと思ったのか、母は昔、住んでいた龍華花園に行こうと言う。朝早くからたいへんな行動力だ。しかしその前にパークレーンホテルの近くの昔からあったウェルカムというスーパーに寄る。そこでパックの中国茶や羅漢果のサプリメント、そしてマンゴジュースまで買い込む。それらの荷物をかかえ、朝7時ごろ、この大坑道にあるフラットにタクシーで乗り込んだ。 |
トンローワンのウェルカム(スーパーマーケット)
ここは広東語でいうとタイハンドータイハンケンロンワーファーユンという。守衛のおじさんは私たちの存在のわけがわからなかったようだが、私たちはそれを無視して門からは行き、まっすぐに続く階段をどんどん上ってフラットのプレイグランドに行く。プールは昔のままだ。プールに続くタイガーバームガーデンは住まいになっている建物をのぞいてなくなっており工事中だった |
このロンワーファーユンは私達が香港に来た年に建てられた。つまり建築されてから18年ということになる。ここの土地はもともとタイガーバームガーデンの一部だったが、タイガーバームガーデンの土地を売って建てられたと聞いている。そのお金で残りのこれまであったタイガバームガーデンを当時きれいにしたそうだ。タイガーバームガーデンは故人の遺志で入場料をとらなかったので、観光客が必ず訪れる場所でもあった。しかしやはり経営をしていくには大変だったのだろう。18年前初めてこのフラットに来たときはまだ工事のおじさんがたくさんはいっており壁のセメントも乾いてない状態だった。ちょうど夏で上の息子は1歳だった。部屋はブロック1の32A。部屋からは銅羅湾の町から海を越えてカオルーンサイドまで見ることができた。クリスマスにはカオルーンサイドのクリスマスイルミネーションが見え、旧正月の花火は我が家のためにやっていたといっていい程きれいにみえた。この花火は花火があがるとピークから海にでている船まで町中のフラッシュが一斉にたかれそれがまた見事だった。32Bのお隣の方は広東人で本当いい家族だった。そしてなによりもここで5年間上の息子は暮らし、下の息子も人生最初の3年間を暮らしたのだ。 |
ここのフラットは行き止まりの道の一番奥に位置しているが、その行き止まりはまだそのままでこの奥は開発されていなかった。来た当時はこの行き止まりの柵をこえたところに一軒の家があり豚を飼っていた。そのさらに奥は谷のようになっており反対側の山にはだんだん畑があり農民が住んでいた。うわさでは中国からの不法滞在者でタイガーバームの創設者がそれらの人を保護しているということだった。その農家も段々畑も今はまったくなくなりジャングルのようになっていた。タイハンドーからブレーマー方面に分岐する地点があり、そこが家からも見えたのだが、その一角にある公団住宅はまだ昔のままであったし、タイハンドーからタイハンケンにはいる分岐点も昔のままの坂で懐かしかった。 |
ロンワーファーユンからブレーマー方面をのぞむ
とにかくこのプレイグランドでいっぱい写真をとり、エントランスでもいっぱい写真を撮っていたら、一人の守衛さんが近づいてきて |
タイハンケンを後にブロードウッドロードを抜けてホテルに戻る。ブロードウッドロードもよくタクシーで通った道だ。息子たちの友達のフラットもあり、個人の家で経営しているおもちゃやもあった。ここから金鐘に行く道はクイーンズロードイーストを通る。このクイーンズロードイーストには2番目に住んだフラットが近くにあるし、息子たちが通ったプレイスクールのメソジストチャーチもある。ここの地区はワンチャイだ。このクイーンズロードイーストより山側は住宅地になっており、海側は市場などの商業地区になっている。そしてこのごちゃごちゃした道を抜けると金鐘のモダンな地区にはいる。このいろいろな場所が混在しているのが香港なのだ。 |
スターフェリーでカオルーンサイドへ ホテルに戻ってくると父が起きていた。この勝手な母娘に父はついていってない。 スターフェリー乗り場のマガジンスタンドで父が日本語の新聞を見つけた。そういえば両親が香港に来るたびにここで日本語の新聞を買っていたっけ。父もよく覚えているわ。 |
中環(セントラル)のスターフェリー乗り場前 | スターフェリー(後ろはイクスチェンジスクエア) |
このスターフェリーは香港島とカオルーンサイドを結ぶ海の交通機関として100年以上運航されているが、その間無事故だというのが自慢だ。ただ無事故だといってもごくまれに乗降口に激突することがあり、一度、席からなげだされた。そういうのは事故のうちにはいらない。私たちが住むよりも昔はまだ地下鉄がなくこのスターフェリーは市民の重要な足だった。台風などで欠航すると香港島からカオルーンサイドには行けなくなった。家に帰れなくなったサラリーマンがマージャンをして過ごしたという話しを聞いたことがある。スターフェリーはいつのっても気持ちがいい。現地に住んでいてもスターフェリーに乗るとちょっとした旅行気分になっていた。 |
スターフェリー乗り場 | スターフェリーからマカオフェリー乗り場方面を望む |
カオルーンサイドのスターフェリー乗り場よりセントラル方面を望む | カオルーンサイドのスターフェリー乗り場 |
5分の海の旅を終え、カオルーンサイドにはいる。乗り場のところに大きなKBM(カオルーンサイドのバス会社)の昔の写真があったので写真をとった。香港ではよく昔の写真を見る。私たちが帰国するころ100年記念というのがよくあった。スターフェリーもそうだが、病院とか公共機関の100年記念が多かった。1997年に香港が返還されたことでわかるとおり、それはイギリスの資本が100年前ぐらいにどっとはいってきたことを物語る。その当時の写真と現在の香港の姿を比べるのはおもしろい。これだけ急速に発展した土地は世界でもめずらしいのではないか。話はとんでしまうがこの日の午後、金鐘の本屋で「港島街道百年」という本を買った。百年前の香港の写真集でここの中の写真はどれも好きだ。香港の人々がこの百年をいかに大切に思っているかがわかる。 |
スターフェリーのりばの横には香港政府観光局がある。ここでは昔はアウトレットのお店の一覧表などをもらっていた。この時だけだったのかどうかわからないが、昔はいつでも混んでいたのに今回はお客さんがいなかった。香港の赤のTシャツを買う。あまりに空いていてちょっと拍子抜けした。 ペニンシュラホテルで息子たちの実印になる判子を作ろうと思う。2階にあるタンズは日本のガイドブックならどこにでも載っているお店だ。少々高くてもペニンシュラホテルの中での買い物なら間違いはないだろう。こういうところは両親はまた興味ないかと思ったが2人とも意外にもいろいろ見ていた。母は妹の娘にも判子を作ろうとはりきりだした。私は息子たちにひすいの判子を母はピンクの石(名前は忘れた)で姪の判子を作った。出来上がりは明日の朝ということでなんとか間に合う。ここで不思議だったのは私がいつも使っているカードが使えなかったことだ。 「カードが使えない」 と思った途端、ちょっとパニックになった。店をでてから母が円で支払えばよかったじゃないとこともなく言った。はやく言ってほしかった。今回の旅行はお金の支払いもすべて私がするということにいつのまにかなっていた。もともとは父のお金だからいいのだが、両親は自分たちで支払うのは面倒だというのだ。私は計画をし、写真をとり、計算をするという超添乗員になっていた。 ペニンシュラの地下にはチョコレートやがある。ここの場所は母のほうがよく覚えていた。母はペニンシュラのチョコレートを買った。私は高いので買わなかった。だいたいペニンシュラのチョコレートは昔から高かった。しかし今はペニンシュラだけじゃない。街中のチョコレートが高い!はっきりいってこれじゃ日本の方が安いじゃない。(そういえば去年、銀座三越でチョコレートを買っていた香港人の人の通訳をしてあげた) |
香港文化中心から香港サイドを望む
飲茶はこのペニンシュラの向かいの海側にある香港文化中心のなかにあるセレナーデだ。Mはお客さんをつれていくのはここと言っていた。私は初めてだ。11時過ぎにお店にはいったために土曜日だがまだ空いていた。海が見え、なかなか素敵なレストランだ。ワゴンがまわっている。香港の飲茶だ!飲茶のときにウエーターが最初に何か言うけど、意味がわからなくても 香港文化中心から海側にでる。香港島の高いビルが並んでおり、 |
再びスターフェリーに乗り香港島へ。カオルーンサイドのスターフェリー乗り場に、香港で私の足に唯一あう靴を売っている店があったのだが、なんとこの店がまだ健在だった。疲れている父をおいて私は靴を買いに走った。店があっただけですごいのに昔と同じスタイルの靴がまだあった。これこれ。いつもはいていた靴だ。自分に合う靴をだしてもらい黒のメッシュの靴を買う。何足か買いたいぐらいだが、時間もない。この時、12時20分前だった。 「あっ、香港は土曜日は午前中、銀行があいているんだった」 と突然思い出した。 スターフェリーをおりると、両替のために両親をマンダリンホテルのホテルショップの前に待たせて銀行に走る。これがいけなかった。ランドマーク前の信号はなくなっており、道路の横断はすべて地下になっていた。とにかくデポーロードセントラルにでれば銀行があるだろうとその方面にでたのだが、最初の3つの銀行は両替ができなく最後にはいったところでやっと両替をしてもらってほっとした。この間15分。ところが母がこの15分待たせたということに怒った。いつもそうなんだが、なぜ私はこのようなことで怒られるんだろう。 「もう限界だわ。はやくホテルに帰りましょう」 しょうがないので、そこからタクシーに乗りホテルに帰る。案の定、ホテルの部屋はまだ清掃中だった。それも母は気にくわなかったらしい。もう12時を過ぎているのにまだ清掃中だといいだした。まあホテルもこのような客が相手じゃたいへんでしょう。とりあえずホテルのLLにあるホテルショップにつれていった。ここのホテルショップは小さいのだが、中国茶から絵葉書までそろっている。あのコンラッドベアも実はここで売っている。しかし6時から太極拳をやった母は疲れているのか不機嫌だ。しかたがないのでまた部屋に戻り、ほとんど掃除が終わってきれいになっている部屋にはいった。ルームサービスのおばさんはまだバスルームの掃除があるんだけどと言ったのだけど、とりあえず部屋にはいらせてもらう。たいへん御迷惑をおかけしました。 |